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2007年4月24日 (火)

戦争と大量殺戮



極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところを読んで思い出したことを.


トマス・ネーゲルの「コウモリであるとはどのようなことか」に「戦争と大量虐殺」という文がある.ベトナム戦争の最中に書かれた文章で,「戦争行為によって提起される最も一般的な道徳的問題 -- 手段と目的の問題 -- について論じ」たもの.久しぶりに読み返す.


この文のテーマは,囚人を拷問にかけて将来の大災害を回避するのに必要な情報を得たり,爆弾で村を壊滅させることでテロ活動を阻止したりするときに引き起こされる「道徳的葛藤」.著者は,この葛藤を引き起こす二種類の道徳的考え方を「功利主義」と「絶対主義」と呼ぶ.


功利主義は,将来起こるであろうことを優先する.善を最大にし,悪を最小にするよう努力し,より少ない害悪を生み出すことによって大害悪を避けうるのなら,より少ない悪を選択する.一方,絶対主義は,将来起こることではなく,人が何をしているかを優先する.


ただし,この文で述べられる絶対主義は,「人はいかなる状況においても,すなわち,そのことによってどれほどの善が得られ,どれほどの悪が避けられえようとも,殺人をおかしてはならない」という平和主義とは異なる.次のような見方を提示する.



絶対主義的立場によれば,意図的に罪のない者の命を奪うことは虐殺であり,戦争において罪のない者とは非戦闘員のことである.



ここで注意が必要なのは,「罪のない」とは道徳的無罪の意味ではなく,「さしあたり害がない」を意味していること.罪の有無を,対象としてる人物が持つ直接的な脅威や有害さに基づいて判定する.このような見方に基づいて,功利主義と絶対主義について,次のような考察が提示される.



絶対主義は,自分自身を大きな世界の中で他者と相互行動している小さな存在者とみなす見方と結びついている.絶対主義が要求する正当化は,第一に相互人格的である.功利主義は,自分自身を,無数の他の存在者 --自分が個人的に係わっていようがいまいが --に対して自分の統御しうる利益を分配する慈悲深い官僚とみなす見方と結びついている.功利主義が要求する正当化は,本質的に行政的である.



絶対主義が相互人格的,功利主義が行政的.この絶対主義は,相手が自分にさしあたって害をなしうるか否かを判断することを要求する.そして,例えば,自分に銃口を向けている(自分に害をなしうる)人物に向けて銃口を向け返すことを禁じない.一方,非戦闘員を虐殺する兵器の使用のいかなる正当化も認めない.



(絶対主義的)直感だけが,大規模な殺戮に対する功利主義的弁明という深淵の手前にある,唯一の柵(である).




(功利主義と絶対主義の)二つの型の道徳的直感は一つの整合的な道徳体系には統合されえない(中略)可能性がある.




世界がわれわれに提示する道徳的問題のすべてに対して解答がある,と考えるのは無邪気にすぎる.



仏教には功利主義が入ってるらしい.そういった考え方を否定する考え方には絶対主義が入ってる.今日はもう寝よっと.



コウモリであるとはどのようなことか

コウモリであるとはどのようなことか



  • 出版社/メーカー: 勁草書房

  • 発売日: 1989/06

  • メディア: 単行本




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