2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« ダルフール危機 | トップページ | 売春の日本史 »

2007年4月12日 (木)

変化は秩序そのもの



一点を注視しているときでも、目は微動してる。薬品でこの微動を止めると、モノが見えなくなるとかなんとか。網膜を構成する光刺激に反応する細胞は、水晶体から見て、網膜上を走る血管よりも外側にある。カメラに例えると、フィルムの表面に血管が走ってるようなもので、いつも血管の影が視野に映り込みそうなものだけど、実際には我々の視野に網膜表面を走る血管の影は見えない。水晶体を通って結ばれる外界の像と血管の影とを区別するには目を微動させれば良くて、微動にともない動くのは外界の像で動かないのは血管の影。そして、微動しても動かない像を無視する機構があれば、網膜表面の血管に邪魔されずに外界を見ることができる。


微動することにはきっとすごく深い意味があって、例えば静止してる外側の世界を注視していても微動のせいで映像が揺れて、一個の視細胞が感じる光刺激の強さも時間変化する。空間的な明暗の「差」や時間的な明暗の「変化」こそが最初に知覚されているのだろう。実際、そういった考察に基づいた面白いイメージセンサが提案されてもいる。変化してることが常態で、ただし対象に応じて変化の仕方が変わる。


さっき読み始めたドラッカーの本に次のような文が出て来て、上の話を思い出した次第。思い出された内容は、本の内容とは全然関係ない。



今日、われわれは変化それ自体を良いとも悪いとも見ない。たんに常態とする。秩序を変えるものとは見ない。秩序そのものと見る。



« ダルフール危機 | トップページ | 売春の日本史 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 変化は秩序そのもの:

« ダルフール危機 | トップページ | 売春の日本史 »