値段俳句
長嶋有氏の作品のひとつに値段俳句がある.
折に触れて,たまに思い出す.
(前略)だとしたら「値段」を「季語」のかわりに使っても、日本に生活する誰しもの心にある「体内経済」を誘発して、俳句のなにかを高めることが出来るのではないだろうか、と僕は考えた。
とのこと.例えば次のような句が並ぶ.一つだけ挙げさせていただいて.
早口言葉上手にいえた50円
今日の勤務中の昼休み,構内にあるいつもの食堂が混んでたので,外にある「お持ち帰りお好み焼き屋」に行ってみた.その店は,あることは知ってて,気にもなってたけど,行ったことのなかった店.行ってみると,お好み焼きは1種類のみで1枚250円だった.屋台にもお好み焼きの持ち帰りはよくあるし,
- お好み焼き持ち帰って250円
は普通で体内経済的にもしっくりくる.けれども,そのお好み焼きを「昼食」として眺めると,なんだか貧弱だ.量とか質とかの問題ではなくて,体内経済の問題らしい.500円より安い昼食は貧弱で,500円より高い昼食は贅沢と判断する体内経済が私には組みあがってしまってる.いつも食べる食堂のメニューがその程度だからかもしれない.
- 職場の昼食500円
お好み焼きは結構大きかったけど,500円に近づけるために(そのためだけに),お好み焼きのほかに
- 豚入り焼きソバ200円
も買ってしまった.お好み焼きと焼きソバあわせて450円.ビニール袋にぶらさげて,ぶらぶら職場に戻ったことでした.
- 帰り道ハナミズキの下30円
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