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2008年3月

2008年3月31日 (月)

学園伝説



以前勤めていた北国の大学ではキャンパス内でフキノトウを摘むことができた。化学科のある建物の周辺のフキノトウは、他の場所のフキノトウよりも大きいという伝説があった。…まったく、よく考えつくものである。


フキノトウの佃煮



をひと月ほど前に堪能した。我が家のレシピは以下の通り。



  1. フキノトウ100gを水洗い

  2. 熱湯でゆでる。茹で汁が緑色になったらザルにあける

  3. 冷水につけて冷めたら水を切って搾る

  4. 細かく刻む

  5. 鍋に入れて、みりん大1、しょうゆ大2、水をひたひたにいれて沸騰するまで強火

  6. 煮立ったら弱火で10分ほど

  7. 火を止めて一晩

  8. ふたたび弱火で汁がなくなるまで


さらに冷蔵庫で数日すると苦くてよい感じ。子供のころから食べてきたからか、この苦味でこれまでのいろいろな春の記憶が脳内で展開される。


2008年3月30日 (日)

アズールとアスマール



フランス映画。アニメーション。冒頭の舞台は中世のフランスかどこか、白人の国である。白人貴族の家に、アフリカかどこかからの移民で肌の黒い乳母が居る。貴族の家の男の子で肌が白く眼の青いアズールと、乳母の子で肌の黒いアスマールは、二人とも兄弟のように乳母に育てられる。乳母は、毎日自分の祖国に伝わる「ジンの妖精=永遠の愛」の物語を子どもたちに聞かせる。ジンの妖精は幽閉されていて、王子に救い出されることを待っている。


アズールは、ある日馬小屋で遊んでいる途中、強引に家庭教師に連れられて、街で教育されることに。同時に乳母とアスマールは無一文で貴族の家を追い出される。時経てアズールが青年となって戻ってくると、乳母の祖国へと海を渡り、ジンの妖精を救い出すべく海を渡る決意をする。


映画中の旅の道程は、おおよそ、出エジプト記の逆である。モーセが出エジプトしたときは海が割れて道ができたが、アズールは滑稽なほどあっけなく波にさらわれ、無一文で乳母の国の海岸に漂着する。そこは不毛な地で人には不具の者が多く、死臭の漂う国であった。その国では青い眼は不吉であると恐れられ、人から忌み嫌われることを知り、アズールは眼を閉じ盲人としてふるまうことを決意する。


アズールにとって青い眼は、現実を見すえる器官であると同時に、彼の出自を語るIDそのものである。眼を閉じることは異国で自分の出自を隠して暮らすことでもあろう。盲人になりIDを隠したとたんに、アズールと同様20年前からこの異国の地で暮らすクラプーという男が接近してくる。異国で不安なときに現地のことをよく知っている者と出会うことは、嬉しいことである。アズールはクラプーを肩に背負い、旅をする。クラプーも20年前にジンの妖精と会いにこの地に来たとのこと。


ジンの妖精と会うには3つの鍵を必要とする。


アズールとクラプーは最初に灼熱の寺の廃墟に辿り着く。廃墟の壁にアズールが手で触れると一か所だけ暖かいタイルがある。次にクラプーと二人で寺の中に入ると、床がなくて地下に落ちる。そして、そのあとにタイルの中から1番目の鍵を手に入れる。床ががなくて地下に落ちることからは、移民ネットワークの地下組織に身を落とすことを想起する。地下に落ちる直前に手に触れたアラベスク=絡み合う糸の模様の温かさは、人とのコミュニケーションの温かさを想起させる。


次にアズールとクラプーは、街へと向かう。街で二人は物乞いをする。街の人は総じて皆親切であり、クラプーとアズールは次々と施しを受ける。街で最初に通り過ぎるのは毛糸の染物屋で異臭がする。糸といえば人とのコミュニケーションを想起させる。青・黄・赤の原色に染め上げられた糸からは、過激な色に染め上げられたイデオロギーを私は想起した。イデオロギーは人を死に追いやる。映画中の腐臭は、その警告であろう。20年間ひそかに街を愛しつつ暮らしてきたクラプーが異臭を染物屋から感じ距離をおくのは頼もしい。きれいな毛糸を見てクラプーは「灰色もねえんだ」と言っている。ナイス。移民ネットワークには、原理主義的イデオロギーに染め上げられた人的関係が随所に混在していることだろう。


次に、アズールとクラプーは市場にやってくる。そこには香辛料売り場が多く、染物屋の異臭と対局的である。そして、そこの香りの寺院を前に、アズールはクラプーと離れ「独りで」屋根に上り、2番目の香りの鍵を手に入れる。移民ネットワークで他者と同調しつづけるとイデオロギーに染め上げられるかもしれない。アズールは自らの五感と考えを信じて、そういった異臭をなぎ払う鍵を手に入れる。ただし、そういう独歩をしたとたんに、屋根から落ち、現地商人の店を壊す。独歩することは少なからぬ軋轢を生む。アズールが壊した店は香辛料屋であり、白い服は赤や黄色にうっすらと染まる。イデオロギーについて無知でもなく、原理主義に染まるわけでもなく、思想的なアマルガムの実現を想起する。


その直後、生き別れた乳母と再開する。乳母の家の門は青い鉄門扉であった。青は自由を表すが、さて。乳母がアズールを同定できたのは、ID=青い眼をアズールが開けた時であった。アズールは漂流して以来はじめて、自らの青い眼で、自らの出自を隠すことなく行動しはじめる。ただし、アズールの最も良き理解者であるはずの乳母でさえ、再会時にアズールの飢えに気づかなかったのは、印象的である。


乳母と暮らしていたアスマールは、貴族の家を無一文で追い出されたことを根に持っていてアズールに対して心を開かない。彼もまた、ジンの妖精を手に入れるべく活動しており、明日がその出発だという。アスマールも一緒に(ただし、気持ちはバラバラのまま)出発することにする。


出発に際して、クラプーを従者にし、ユダヤ人の老学者と、王室の姫君と会う。前者からはジンの妖精に会うまでの手続きを教えてもらい、後者からは手続き実行の際の困難に立ち向かうためのアイテムを手に入れる。老学者との会談は時報で打ち切られる。老学者=経験を積んでいる者には残り時間が少ないことが映画中で語られる。「過去」の存在であり、ただし「経験」の宝庫でもある。一方、姫君はまだ幼いながらも教育の成果で聡明であり、この国の「未来」そのものでもある。現代的な「知識」を持つが、本物の土や木を見たことがなく経験が足りないことが映画中では語られる。また、姫の口から、現在この国には争いが絶えないことが語られる。


ジンの妖精を求める旅の途中アズールとアスマールは二手に分かれ、そのとたんにアスマールが山賊に襲われる。アズールは命を顧みず、アスマールを救出に向かい、そこで負傷する。しかし、再び二手に分かれて旅を続け、アズールは赤いライオン(青い爪)と出会う。一方のアスマールは赤い巨鳥とである。これら2匹の獣はジンの妖精のいる洞窟を守護する難敵である。獅子と鳥からエジプトがらみで思い出すのは、スフィンクスである。ふたりとも「王道」に近づいている。


アズールもアスマールもともに獅子と鳥を手なづけて、洞窟に入る。そこには山賊とピラミッドがある。ここでアスマールは、アズールを山賊から助けるために行動し、深手を負う。この洞窟からジンの妖精の場所まで通じる秘密の通路への入り口は、太陽の像であり、その扉は顎を押すことで開く。乳母の顎髭といい、太陽の顎といい、この映画では王に関わる顎の部分に印の付いていることが多い。アズールが手に入れた二つの鍵と、アスマールが持っていた3番目の鉄の鍵によりついにジンの妖精との再会を果たす。ただし、再開できたのは彼らが正しい行動をとったからではなく、妖精が彼らを気に入ったからであった。善行に対する報いというわけではなさそうである。


アスマールの鉄の鍵は剣=武力に関わるものである。前二つの鍵が移民してきた側の鍵であり、あとの武力の鍵は移民を受け入れる側の鍵である。アスマールはこの鍵を持っていることを最後までアズールには打ち明けていなかった。恐ろしいことである。


最後、アズールとジンの妖精(=アズールにとって異国の愛)、アスマールとエルフの妖精(=アスマールにとって異国の愛)、クラプー(道化)と乳母(母の王)、ユダヤの老学者(過去と経験)と幼い姫(教育と未来)、の4組で和を構成し、大団円を迎える。


2008年3月26日 (水)

通り魔



犯人の顔がいわゆる悪相ではないので戸惑う。ひげも剃ってあって短髪で、「いわゆる殺人犯」の姿かたちのテンプレートと一致しない。友人の父親が強盗に殺害されて、裁判とかを経験して、随分経ってから、「結構頻繁に殺人って起こってるんだよ」と呟いたのを思い出す。わたしが保有するテンプレート、殺人事件とか殺人犯とかに関するモデルのほうが間違えているのだ。モデルにあうようにデータを歪めてはならない。


土浦通り魔、1月から計画「おれが神だ」 - 社会ニュース : nikkansports.com


人を殺害することとゲームをすることの間に相関があるかどうか分からない。分かっていないはずだけれども、この手の事件では必ず言及される。機能不全なテンプレートの一つではないかと思う。ブルボン小林氏は、ゲームの残酷な描写に対して、周囲の人が眉をひそめるのと「ありえない」といって笑うのとでは違うと言及してたことがある。ゲームがフィクションであることを伝えることに成功するのは、もちろん後者である。ゲームをするときに「周囲の人」が居るかどうか、眼の前の子のゲームに共感しつつも相対化してくれるような他者が居るかどうかは、気にしても良いかもしれないとは思う。



インターネットでサバイバルナイフを手に入れ



ネットで買ったという一文も、ある種の効果を与えるためにわざわざ挿入されているのだろうと思う。そして、効果の受け方は世代によって随分違うのだろうと想像する。昔のように刃物屋のおじさん・おばさんからしか刃物を買えない社会システムに戻ったとして、少年が刃物を買いに来たとき、その少年の眼をじっとみつめて人の殺害をためらわせるような何かを伝えるようなコミュニケーションは成立するのだろうか。


…この話、結語のある文章にはならない。


2008年3月25日 (火)

大学入試



とか年度末のイベントが収束しつつある。合格者÷受験総数で倍率を出したり、受験前の「偏差値」と合否に関する統計をとったり、予備校はデータ収集と解析に余念のない時期ではないかと。国立系の大学には前期試験と後期試験があって、例えば前期試験の定員を減らして後期の定員を増やすと、倍率とか合格するのに必要な「偏差値」とかが見ため上昇する。その結果を予備校が受験生に伝えて、いわゆる大学のランキングがあがったりするとかなんとか。すんばらしい教員が居るからとか、教育プログラムが良さそうだからとか、そういう話ではない別のところで、大勢が決まる。


Phun



よく出来ていて、感心。


Phun.jp | Phun日本語解説サイト | ホーム


沢山のボールをぶつけあったときの挙動とかについて、シミュレータが自分の求めた結果の曖昧さについて定量評価することってできるのかしらん。


2008年3月22日 (土)

専門書の和訳



専門書を読む人は英文も(たぶん)読めるから「和訳」にはそれほどご利益がない気がしてたけれども、こういう初学者から専門家まで幅広い読者をカバーしうる名著の和訳は手放しで喜んだりする。


2008年3月20日 (木)

大型犬



動画:蹴られても滑っても立ち直る四脚ロボ BigDog - Engadget Japanese


関節に硬いバネ(空気バネかしらん)でも入れて、曲げられた関節が伸びたり、落下したら弾んだり、アクチュエータを必要とせずに姿勢を戻したり跳ねたりするダイナミクスを上手に使っているように見受ける。足元の形状をはかるレンジファインダくらいは搭載してるのかしらん。ジャイロとかマイクロフォンとかセンサやら通信機能やらを搭載するのも時間の問題。あ、小型犬もいる。


Boston Dynamics: The Leader in Lifelike Human Simulation


それにしても、想定している用途が、なんというか、露骨である。踊りを題材に異なる動作と動作の間を滑らかにつなぐような技術を追及する国も一方ではあって。


ロボット、会津磐梯山踊りを舞う(動画) : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ


前者のようなシンプルで骨太なロボットの研究を軍事以外で展開できないものだろうか。あ、工業用のロボットは、そういう発想に近いのかしらん。


追記


Boston Dynamics: The Leader in Lifelike Human Simulation



Sony Corporation turned to Boston Dynamics for help developing its line of entertainment robots. We adapted our physics-based human simulation to work for Sony’s humanoid robot, QRIO.



ふーむ。


アーサー・C・クラーク死去



映画「2001年宇宙の旅」のリバイバルを観る前に、随所で「名作『2001年宇宙の旅』…」と書かれているのを眼にしていて、一体どんな素敵な映画なんだろうと思ったものであった。で、実際に観てやっぱり名作だ、と思ったわけではなくて、逆に「こういう映画を名作と評すれば良いのか」と判断基準の方を修正したことであった。その後しばらく経ってから、星新一のエッセイを読んでいて、「わたしには2001年宇宙の旅はどこが面白いのか全く分からない。こう言うとセンスが古いといわれるのかもしれないが」というような趣旨の文章を眼にして、自分の判断基準の方を修正した自分の未熟さを自覚した。…という経験をクラークの名を見ると真っ先に思い出す。ご本人には何の責任もない頓珍漢なエピソードが、わたしの脳内のクラーク御大には纏わりついているのであった。


一日遅れましたが、謹んで哀悼の意を表します。


2008年3月18日 (火)

起承転結



で英語論文を書くと、「起」「承」の部分で主題がわからず不安になって、「転」の部分で論旨がわからなくなって、英語圏の人の多くはその文を理解しようとするのを放棄する、とのこと。論文だと日本語でも起承転結はないとは思うけれども。


起承転結な見本の天声人語の英訳は英作文の訓練には向いてない。


2008年3月16日 (日)

今更ながら、バターが値上がりしている



バターが高くなっていることに今更気づいた。300円が320円に、という感じ。飼料高騰をうけて、えーっと、牛乳を減産してたこととかが理由で値上がりしたとのこと。更なる値上げに備えて、日持ちもするし、買いだめする人が多いのだと思う。スーパーのバター陳列棚が今日見たら全部空っぽだった。


オイルショックのとき、値上がりを警戒して、自家用車のガソリンがまだカラでもなんでもないのに給油する人が増えて、そのせいで国内のガソリンの需要が急に伸びた上に価格が上がって、周りの国から顰蹙を買ったとかなんとか。バターでも、きっと最大瞬間需要量が必要以上に高くなってしまってるに違いない。ガソリンと比べるとバターの重要度は高くもなんともないけれども、オイルショックの時に何かが学ばれたのなら、「落ち着け」というアナウンスというか、生産と流通と消費に関する世界の現状についての情報がもうちょっと分かりやすく露出しても良い気がする。


2008年3月13日 (木)

ムーアの法則・改



というはみだし記事があった。


いわく:



トランジスタの集積度は18~24ヶ月ごとに倍になるが、それに携わるエンジニアの給料は横ばいである。



わはは。給料据え置きで過去のものが安くなって、今のモノの値段は同時代での他のモノとの差で決まる、というような話であったか。そのとおりだ。



Design Wave MAGAZINE (デザイン ウェーブ マガジン) 2008年 04月号 [雑誌]

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まず差し出して



極東ブログ: 日本語の数詞に潜む謎



倍数の計算原理がこの数詞に潜んでいることは間違いないということだ。だから、その倍数構造がどのような算術に活かされていたのかと問いを出してみたいのだ。



こういう話は素人にもとても面白い。きっとなにかあるのだろうと思う。なんだろう。倍数の構造が重要な役割を果たすような交換。


たとえばAではタンパク質源しか手に入らなくて、Bではビタミン源しか手に入らないとする。AもBも自分が必要とする分だけを手元に置いておいて、残りを相手と交換しようとして、でもそれらが等価交換しにくいことに気づいたとする。こういうときは、AとBがまず第三者Cに持ってるものを全部差し出して、ビタミン源とタンパク質源をそれぞれ2等分して、ビタミン源とタンパク源をお互いがもとの半分ずつ手に入れれば。倍数構造を持つ交換。しかもその第三者のCが天皇のルーツで。


…まさかね。でも、こういう空想は普通に暇をつぶせる。


極東ブログ: 支出の倫理



山本の記憶に残る「支出の倫理」とは次のようなものだ。



ところが、立派な「取得の倫理」をもっていながら、「支出の倫理」となると、日本人はこれが皆無である。




こういう「取得の倫理」と「支出の倫理」の非対称性は、わたしにも強くある。こういう倫理の非対称の起源と数詞の構造がピタリとはまって説明されるといいのに、と思う。


AとBがCに対して、自分の必要な分も含めてすべて提供してから、二等分で交換をおこなっていたら、それは取得の倫理の起源としても申し分ないのではないか。と妄想して夜が更ける。


2008年3月12日 (水)

退官記念パーティ



があった。勤続40年の先生。スピーチは、学園紛争のころの話だった。文字通り殺害をちらつかせて脅迫されたエピソードとかを交えつつ「でも当時の連中はみな真剣にものを考えてた。連中はいまごろどうしてるんだろう」と言っていた。頑な人で、ずっと教授にはならず、なれず。「これからいろいろあると思いますが、生き抜いてください」と締めくくられた。日記。


2008年3月 9日 (日)

パラダイス鎖国



パラダイス鎖国は他人事ではない。大枠でいえば私は工学・情報系の研究者で国内の当該分野の研究者の数はとても多いし、科研費を代表とする資金についても他分野との競争で(情報系のわりには)大きくは負けていない。むしろ国内でプレゼンスの高い分野だ。一方海外に目を転ずると、もちろん異国にも当該分野の研究者は大勢居て、当該分野の国際会議も定期的に開催されていて、日本からの参加者もそれほど少なくはないにもかかわらず、でも日本のプレゼンスは低い。とても低い。純粋に研究者の実力とかレベルが問われていて、言語の壁を言い訳にしたらその時点でアウト。アジアだろうが欧州だろうが豪州だろうが、優秀な研究者は優秀な研究をして英語でしかるべき発表をして、優秀な研究者どうしで切磋琢磨して、ポジティブにフィードバックをかけあって、そういう研究者が次世代の学生を育てていて。一方国内でたとえば大学教員とかを細々とでも続けるだけなら、国内で資金を獲得して国内の学会でしかるべきプレゼンスを発揮すれば(それとて実は全然やさしくはない)細々とどころか立派に勤め上げることができる。国内ではともかく国際レベルでみておまえの研究はどうなのだ、このままでは不甲斐無いですよと、言ったり言われたりする緊張感をもった大学は国内では少数だ。皆無といわないのは、そういう緊張感を持続させることに成功している大学・学科があることを知っているからで、そういう緊張感に持続的に晒されている若手研究者、さらされてなくても国外に目を向けて持続的に良い仕事をしている研究者、まさに彼ら・彼女らが生き残り、それ以外の研究者が文字通り職を失う危機感を切実に感じて研究をしようと動き出すような枠組みが必要とされていて、でもそういう枠組みを導入しようとしたとたんに。


2008年3月 8日 (土)

大学の演習や講義を英語で



しよう、いや嫌だ、という議論がここ数年ずっと続いてる。「日本語でやっていても難儀してるのに、このうえ英語にすると教育効果が落ちる」だから英語の導入に反対する、という人は多い。海外で英語で一人で発表して普通にやりとりするスキルなら全教員が持ってるけれども、英語で講義とか演習とかしようと思うと90分英語で話し続けないといけない。20分程度のプレゼンとはわけが違う。そうやって90分的確な英語を話し続ける自信のある教員の割合はどの程度のものなのかよくわからない。その自信のなさが英語導入反対の背後に控えていると邪推する。なにを隠そう私が最近までそうだった。でも英語教育導入の仕方にもいろいろあって、やったらやったなりに学生はついてくるものだ。今年週1回の演習に30分の英語による討論の時間を設けた効果をみての実感である。


2008年3月 7日 (金)

先入観



日本の歴史(山本七平)読了。後醍醐天皇の人物像に大幅の修正を強いられた。日本史に暗くて、石ノ森章太郎の漫画でしか知らなかったので。




山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)

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マンガ日本の歴史 (19) (中公文庫)

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  • 発売日: 1997/11

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後醍醐帝が、宋の思想において是とされることを一心に行い、同時に、否とされることを絶対に避けようとして、常に努力しつづけたことは否定できないであろう。そして、この一つの正統思想を、その体現者として誠心誠意行ったことは、すべての人の目に明らかであった。



「誠心誠意」という言葉に、ハッとする。あんまり面白かったので、南北朝の本をしばらく読もうと思ったのでした。今は、これ。



日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)





要職にあったにも関わらずスキルが足りなくて周囲に害をもたらした人物に、時代劇に出てくる悪代官像を自動的に付与してしまうことから自由になりたい。スキルの問題ではなく、組織・システムの問題である場合もあるし。


2008年3月 6日 (木)

アイデンティティ



普段ネットでよく見るサイトの一つの書き手が、実は比較的親しい知人のものであることに今日気づいた。偶然。


サイトに書かれている内容だけを手がかりに、顔も年齢も知らないけれども、文体とか話題の偏りとかそういったことからそれなりの人物像を脳内に構築していた。で、それとは別に昔から、その人物のリアルのほうの人物像は脳内に構築されていた。


同一人物であると分かったときの恥ずかしさは、サイト経由で構築された人物像とリアルに構築された人物像の差の由来に起因する。その人物の年齢とか顔がモテ系かどうかとか、そういうことが自分で意識しないうちに結構人物評にバイアスをかけていて、そのことを期せずしてつきつけられて、うろたえる。


「あなたの人生の物語」の美醜失認装置と似たような側面がネットの社会にはあるんだな。



あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

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2008年3月 3日 (月)

産学の連携



産学連携を謳う会合とか催しとかに最近よく引っ張り出される。学会の地方大会の参加人数が減少しつつあって、収入が減っていてなんとかしたいという話になっていて、企業からの参加者数を増やそうという話になって、産学連携が合言葉に。


それなりの大企業のすごい肩書きの人がやってきて、「産側は動員をかけて人を集められる。ただし、動員をかけるためには…



  1. あまりにアカデミックな話を聞かされても内容がわからないから産側から参加者は望めない。「目的」を共通にして、産側と学側から発表を出し合うのはどうだろう。

  2. その目的があまりに狭いと動員をかけにくい。「環境」とか「医学と工学」とか広いほうが望ましい。


とのこと。その案に従って企画をたてて走り始める。こういう台詞を聞いたときの違和感は相手がすこぶる目上でしかも肩書きもすごいときにはなおさら表明しにくい。


産側の動員とは上司の命令で従業員が興味の有無に関係なく学会に参加することで、それで学会の会計が潤ったりすることは、本来とりつぶすべき会合が延命させられていることに他ならない。地方大会がないと学外発表を学生にさせることができない大学院研究室があるのも事実で、延命させられているものには、それら研究室とその研究室を運営している教員も含まれている。


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