まず差し出して
倍数の計算原理がこの数詞に潜んでいることは間違いないということだ。だから、その倍数構造がどのような算術に活かされていたのかと問いを出してみたいのだ。
こういう話は素人にもとても面白い。きっとなにかあるのだろうと思う。なんだろう。倍数の構造が重要な役割を果たすような交換。
たとえばAではタンパク質源しか手に入らなくて、Bではビタミン源しか手に入らないとする。AもBも自分が必要とする分だけを手元に置いておいて、残りを相手と交換しようとして、でもそれらが等価交換しにくいことに気づいたとする。こういうときは、AとBがまず第三者Cに持ってるものを全部差し出して、ビタミン源とタンパク質源をそれぞれ2等分して、ビタミン源とタンパク源をお互いがもとの半分ずつ手に入れれば。倍数構造を持つ交換。しかもその第三者のCが天皇のルーツで。
…まさかね。でも、こういう空想は普通に暇をつぶせる。
山本の記憶に残る「支出の倫理」とは次のようなものだ。
ところが、立派な「取得の倫理」をもっていながら、「支出の倫理」となると、日本人はこれが皆無である。
こういう「取得の倫理」と「支出の倫理」の非対称性は、わたしにも強くある。こういう倫理の非対称の起源と数詞の構造がピタリとはまって説明されるといいのに、と思う。
AとBがCに対して、自分の必要な分も含めてすべて提供してから、二等分で交換をおこなっていたら、それは取得の倫理の起源としても申し分ないのではないか。と妄想して夜が更ける。
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