聖火リレー
むかし岡山をサイクリングしたとき、たぶん吉備神社で、神主さんかどなたかから聞いた話。その神社では神社創設以来ずっと絶やさず灯っている火がある。その炎の管理は、とても重要な努めのひとつである。戦中その火が消えて絶えるのを恐れて、火を三つに分けてそれぞれ管理していた。戦争が終わってから、また一つに戻した、とのこと。
…時空間の中で連続的に継続しているのは、炎の明るさと熱だ。明るくて熱い点を神社創設のときまで連続的にさかのぼれることは、なんというか「正統性」の一つのあり方だと思う。いったん炎が消えた後の聖火には、そのような連続性に基づく正統性は無い。聖火に正統性とか神聖さとかを元々感じてなかったからどうでも良いですが。
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