大学院の講義
今年は、大学院での講義でも、学生アンケートを実施した。大学院生相手には、学部生相手とは違って、自分の考え方を色濃く反映させた講義をしたいと思っており、そういう講義はなかなかシラバスどおりに進まず、「講義はシラバスどおりであったか」とかいう項目のあるアンケートをするのは嫌だなぁと思っていたのであったが、蓋を開ければそもそも学生たちがシラバスを真剣に読んでおらず、それはそれで困ったことなのだが、シラバスとは違った話をふんだんにしたにも関わらずそのことを指摘した学生は一人も居なかったようだ。
大学院相手の講義の最後には、押井守監督「イノセンス」のシーンを題材に、その背後にあるIDタグ+ネットワーク+ビジョンシステムを組み合わせたシステムの可能性の話をしたのであった。
例えばサイボーグの主人公が船に乗り込むシーンでは、主人公の眼球に相当するカメラには船内の景色が映り、その景色に船内の3次元CADデータと思しき情報が重ね合わせて描画される。実際には眼の前の鉄扉がしまっていても、その鉄扉の向こう側の廊下や天井のデータが重なって描画されるため、あたかも鉄扉が透明であるかのように見える。
対象の形状が既知であれば、映像からカメラの位置・姿勢などを推定して、対象の形状データを実画像に重ねて描画することは難しくない。船内の形状データは当然ネット上に存在しているわけであり、ネット上の情報にアクセスしつつ情報処理をおこなうシステムは、ネット上の情報を利用できなかった旧来のシステムと比べて、柔軟性も頑健性も大幅に優れている。
こういう話をしたあとなら、形状データの重ね合わせに必要な射影幾何学とか、画像認識法とかにまつわる小難しい数学の話も学生は良く聞く。こういう話をしないと小難しい話を聞かない学生ばかりかというとそういうわけではないのだが。
小難しい話の極北の最先端の話をするのと、映画のような話を混ぜながらホンワカと話をするのと、ゆれながら講義をする。そういう形式を学生は嫌いではないようである。そういう形式の講義は、学部ではもはや許されていない。許すべきだと主張したいわけではないけれども。
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