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2008年8月

2008年8月24日 (日)

対馬丸

今日の日経新聞夕刊「あすへの話題」は対馬丸の話だ。新聞記事より。

沖縄戦が始まる前、本土への疎開を指示された学童たちをいっぱい乗せて那覇港を出帆した貨物船の対馬丸は、昭和十九年八月二十二日の深夜、鹿児島県悪石島の沖で「真珠湾の復讐者」と呼ばれていたアメリカ軍ボーフィン号の攻撃を受けて沈没した。

8月22日。1944年の昨日のことであった。気になるのは、非戦闘員を虐殺したアメリカ潜水艦のことと、沈没した対馬丸の船体引き揚げの話だったけれども、ぐぐると10番目に次のページが。
極東ブログ

いずれにせよ、いつの日かこの引き揚げて沖縄の地に迎えて眠らせてあげなくてはならない。対馬丸の惨事は終わった物語ではない。

心から、そう思う。

それから。いかなる理由があろうとも、仮にその行為によって更なる悲劇を防げるという理由が正しいとしても、非戦闘員を大量に殺害することは絶対的な悪である。すなわち、正当化は不可能である。

2008年8月23日 (土)

計測自動制御学会の年次大会

が調布であったので参加。うちの学生の発表も1件。初めてにしてはまずまずだったか。同大会は数年前から原稿執筆も発表もすべて英語。他国からの参加を促すため。

802.11*用のアンテナのデザインと特性解析の発表があったので、畑違いながら、聞く。アンテナの形状のデザインは基本的に職人の技頼り、みたいなところがありそうであった。アンテナとかレンズとかエンジンもそうであったように思う。最適なデザインにノウハウの蓄積を強く必要とする分野は少なくなさそうである。…かと思うと、ゴルフのシャフトの設計が力学とかの理論を駆使してなされていたりして、いろいろである。

フーリエ変換

サンプリング間隔が不均一な信号のフーリエ変換を学生が成功裏に動かした模様。理屈はともかく実装は簡単だ。次はwavelet変換。脳のPET画像の時間変化の解析に使えるはずである。

あぁ八月が終わる

なにもしないうちに八月が終わる。まだ前期の採点も済んでいない。これから、あのレポートの山を読んで、中間テストと期末テストを採点しないといけないのか。テストとかレポートは学生と教員とのコミュニケーションの一種でもあるのだけれども、そんな側面を一顧だにせず書きなぐった悪筆の回答用紙をみるとゲンナリする。採点、査読、査読者割当、報告記事執筆の締切が見事に8月28日で重なっている。今頃気づいた。マズイな。今日のキツイ肩こりは、体が先にこの緊急事態に気付いていたか。

2008年8月21日 (木)

google streat view 感想

車で四方八方写真を撮りながら走ったわけで、お金と人と時間の注力の仕方には、執念のようなものを感じて、恐れ入る。それにつけても、インタフェースも含めて、よくできている。

表示される画像は静止画で、カメラ中心の回転のみができる。つまり、情報としては3次元ではなく2次元のままである。(位置固定でカメラを回転させたときの画像を擬似的に1枚の静止画像から生成するのは容易だ。)また、今のところリアルタイムで画像が変化しているわけでもない。ある時刻のパノラマの静止画が、位置をタグに公開されているということである。

公道から撮影した静止画の集合で国民が裸になるようなことはないし、「プライバシーは法的に保護さるべき人権ではない」というのはそのとおりであろうと思う。

広域な時間・空間に対して情報を密に記録しておいて、位置や時刻やキーワードをタグにして容易にアクセスできるようにすること。そのような情報再構築はグーグルによって始められたばかりであり、再構築される情報が今後持つことになるであろう価値を正確に評価するのは易しくない。

ストリートビューに対する議論は、「今現在」便利なのか気持ち悪いのかという視点が支配的な気がする。重要な議論だとは思うけれども、もう少し長期的な視点に立った議論があっても良いように思う。例えば、大地震や戦乱で町が崩壊したとき、崩壊前の町の様子が記録として残っているのは貴重だと思うし、今後定期的にストリートビューの画像が更新されるのであれば、各位置における町の変化を観測できるようになる。そういう情報もそれなりに貴重なのではないか。そのほかにも、幾らでも社会的に有用な応用を思いつく。

後世のためやイザというときのために、今現在気持ち悪いのを我慢するのは筋が違うし、気持ち悪いと感じる人がいるのは理解する。でもなんというか、ストリートビューを巡る議論の幾つかは、対象の可能性の大きさの割りに、幾分こじんまりしすぎている印象を持つ。

2008年8月20日 (水)

大野病院事件

無罪判決とのこと。要旨が読める。

医師に義務を負わせ、刑罰を科す基準になる医学的準則は、臨床に携わる医師のほとんどがその基準に従っているといえる程度の一般性がなければならない。現場で行われている措置と、一部医学書の内容に食い違いがある場合、容易かつ迅速な治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらし、刑罰が科せられる基準が不明確になるからだ。

「一部」医学書との齟齬に基づいて刑罰が科せられるのは、悪夢だ。

本件は癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為によっても避けられなかった結果

「過失なき診療行為」と明記されている。今後癒着胎盤に遭遇した医師は、冷静に臨床上の標準的な医療措置をとれるだろうか。なぜ刑事事件になってしまったのだろう。結果として、遺族の方は衆目を集めてさらに辛い思いをすることになり、被告の医師は過失なき行為の結果を過度に責められて、当該病院から産科がなくなった。

#今回の事件の情報の流通において、ウェブの果たした役割は大きい。

Modern Sampling Theory

不均一な間隔で信号をサンプリングしたときの、フーリエ変換とかウェーブレット変換とかガボール変換などについての解説書。前半に数学の解説があって、後半に応用の解説がある。多くの著者による共著なのに、(一部)読んだ範囲では変数などに統一が取れていて、読みやすい。国内での類書を不勉強にて知らない。

Modern Sampling Theory: Mathematics and Applications (Applied and Numberical Harmonic Analysis) Book Modern Sampling Theory: Mathematics and Applications (Applied and Numberical Harmonic Analysis)

販売元:Birkhauser
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スジエビのつかまえかた

近所の公園の池にエビを捕まえにいった。スジエビ

  1. むしとり網の網の部分を池の岸ちかくに沈める。
  2. 網の上にビスケットとかのエサをまいて沈める
  3. 念のため、網とは別にペットボトルの胴体にビスケットを入れて水を入れて池に沈める
  4. 放っておく
  5. 網とペットボトルを引き揚げる
  6. たくさん採れる

簡単である。1回引き上げるごとに10数匹。

3匹連れ帰ってアカヒレのいる水槽に入れた。ヌマエビと違って基本的に肉食のエビなので混泳は少し心配ではあるが。

ヌマエビと違って手先が不器用で、エサの食べ方も雑ではあるが、透明な生き物は面白くて好きである。頭部に拍動する心臓が見える。

2008年8月19日 (火)

福島県立大野病院事件

明日だ。

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/05/515_bf0b.html

http://mainichi.jp/select/science/news/20080819ddm012040003000c.html

すべてのものにIDを

以前書いたかもしれないけれども。
Internet of Thingsというか、EPC globalというか、すべての物品にIDを割り振る体系は有用だと思うし面白そうだけれども、技術的には次のことが気がかりというか腕の見せ所のひとつなんだろうな、とも思う。

  • 物品の廃棄にともなってIDも廃棄する仕掛け
  • 複数の物品が組み合わさって一つの物品を構成するときの、IDの管理

たとえば、自動車はエンジンとかハンドルとか座席とかの組み合わせでできている。それぞれがID持っていて、その組み合わせとしての自動車もIDを持つ。中古車とか部品の一部だけを入れ替えた工業製品とか、なにをIDとしてどう管理するのか、自明ではない対象が数多く存在しそうな気がする。

しそう

あくまで洒落で雰囲気な話。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080818/1219026333

こういうオバカ自滅っていうのは量子的現象だなと。
 一定の確率レベルがあがるというか、ある状況下で可視になって波動がコラプスして、おバカの末路が観察可能になる。

死相が表れるってこともあるかもしれない。

リスクの確率密度関数は関連因子の確率密度を積分して周辺分布として評価される。で、バカたれな行為で自滅側に分布がシフトすると、末路の生起確率が高くなる。という単純な話にすると量子的な匂いはあまりしなくなる気がするけれど、こういう洒落は好きなので。

2008年8月17日 (日)

むしとり

娘とおい・めいと、入道雲の下で一日中むしとり。ショウリョウバッタ、イナゴ、ツマグロヒョウモン、カマキリ、カナブン。一日があっという間に終わる。全員みごとに健康な小麦色に。
Dsc_0436


今年は実家の周辺ではカブトムシが不作とのこと。樹液が出ていない。天候のせいなのか、昨年秋にドングリを大量に身につけて養分がなくなったからなのか、トンと分からない。と地元の人。

蓮の花

朝開く音は聞かなかったけれども。息を飲む美しさ。午後少し萎むけれども、翌朝またみずみずしく開く。Dsc_0335

2008年8月14日 (木)

線香花火

を子供がするときは、サンダルを履かせてはいけない。火の玉が足に落ちると大やけどをする。

2008年8月13日 (水)

太田選手

すごいっ。

non-uniform spacing Fourie transformation

http://ieeexplore.ieee.org/Xplore/login.jsp?url=/iel3/3834/11196/00541744.pdf?temp=x

サンプリングの間隔が一定ではないときのフーリエ変換について勉強したい。くそ厳密な数学の本と単純な応用の論文との間くらいの、ほどほどに数学的背景が記載されていて、実装法も書いてあるような論文がなかなかみつからない。モバイルとかなんとかがもっと有効に使われだしたときに、足腰となる話題のひとつのはずなのだが。どげんかせんといかん(死語)。

2008年8月12日 (火)

超音波画像のAモード

だと信じていたデータが、実際にはそれを(装置のハードウェアの限界をカバーするために)間引いたデータであったことが、データを貰ってから3ヶ月後に判明。なんという失策であろうか。どうりで色々うまくいかない訳である。

計測データを間引いて送信して、受信側での信号処理で復元しようという話であったか。間引き方に工夫がないのでとても筋の悪い話になっている。このことに長期間気付かなかったのは物凄い不覚であるが、なんというか、信じられないことをするものである。

「現場」という言葉で何でも許されると思ったら大間違いなのだ。「現場」でも理論は不可欠で、現場でも通用するほどに理論を理解することがとても重要で大変で面白いところなのだ。経済的な拘束のもとで理論を踏み外さないように面白いモノを作るのが腕の見せ所なのだ。

と思うのですが、いかがでしょうか。

タバコシバンムシ

娘や息子の食べこぼしも原因なのだろう、シバンムシ がたくさん家の中に居る。たいへん鬱陶しい。ウィキペディアより

シバンムシのシバンとは死番、つまり死の番人を意味するが、これは英名の death-watch beetle に由来する。

へぇぇ。芥子粒大の馴染みあるムシだけど、ずいぶん大層な名前をしょっている。

2008年8月11日 (月)

さんま

一昨日、今年初のサンマを。北海道で取れたと書いてあった。旨かった。毎年、旬といわれる時期よりも早めにとれる、その年最初のサンマが一番旨い気がする。久しぶりに食べて旨くて驚くからかもしれない。

2008年8月 9日 (土)

オリンピック

テレビをつけたら体操競技中であった。各選手が予選で見せる技の難易度の印象が高い。そういえば大昔会社のスキー部にいたとき、2年も経つとスキーの理論が変化するのを知って驚いたものであった。道具の変化にも因っていたのであったが。野球もスキーもサッカーも水泳も、そして体操も、多くのスポーツはどんどん高度化し続けているのであろう。

世界と交流しつづけないと「最先端」から取り残されるのは、スポーツでも同じである模様。

むしとり

網とかごを持って虫取りに娘と。60分でバッタ6匹、セミ2匹。大き目のバッタ2匹を除いて逃がす。2匹については持ち帰って、図鑑をみてショウリョウバッタであることを娘に調べさせてから逃がす。ショウリョウバッタは、いざとなると、地面から飛んで5階建ての住宅を飛び越えることができる。逃がしたらあっという間に遠方にいってしまった。

安物買い

なんちゃら工房という店でよくPCを購入しているけれども、購入して2,3年で、マザーボードが逝かれたり、冷却ファンが外れたり、人知れず臨終してたりする。隣の研究室では出るという会社純正のマシンがほとんどで、そこではそんなことはなく堅牢に稼働し続けている。

安物買いの銭失いをジでいってることに遅ればせながら気づいた。とほほ。

2008年8月 8日 (金)

慣例を破ろうと欲すれども

幹事をしている零細な地方大会まであと1ヶ月。零細ゆえにほぼ全ての作業を自分でやらねばならず、猛烈に忙しくなってきた。今日は現地にいって受付の手順を検討する。昨年までの受付手順は引き継いでいて、ただ、例年の受付手順が最適とは思えず、改善法を延々検討する。大会に事前登録したか否か、学生か否か、座長か否かなど受付にやってくる人たちの場合の数がまじめに数えると10以上あって、それぞれについて渡したり受けとったりするものが異なって、そのわりに受付準備に割ける人数と時間のリソースが足りない。 改善手法を沢山だすものの、いずれも結局昨年より効率が落ちることが判明して、結局「例年通り」+「マイナーな工夫」で落ち着いた。零細とはいえ既に20年以上の歴史ある地方大会であり、受付手順も(そうはみえなかったが)それなりに最適化されていたことを痛感したのであった。改善してやろうと意気込んでいて、結局慣例に落ち着いたときの徒労感は、とても大きかった。

2008年8月 7日 (木)

医工連携

どうすれば連携できるかという議論をしているとき、医師側の人たちが、「工学のひとはずっとパソコンの前に座ってないで、医療の現場にきて、医学の知識を身につけてほしい」と言っていた。現場を知らず、医療画像でトイ・システムを作ってガラパゴスでのほほんとしている研究者もいるかもしれないけれども、工学者が医学の知見もふんだんに身につけて、しかもそのような人が大勢いないとうまくいかないような分野なのなら、早晩廃れるであろう。

異分野間で情報を交換し続けるためのプロトコルの確立が急務なのだと思う。先輩は金の問題だと思うと言っていた。すなわち、それほど密に連携しなくても、給料はもらえるし、研究費も稼げるし。本気で連携して、生活とか人生をかけて診断支援システムとかなんとかをつくろうという切実感が、米国では濃厚で日本では皆無で。なるほど。

2008年8月 6日 (水)

人口のトレンド

中国の人口推移みてると、内乱でいっとき5分の1とか10分の1とかに減っても、あとから盛り返している。近隣の人たちの移住を促したりしながら。日本の人口は減少傾向にあるというとき、少なくない人が、緩慢ながらも単調に減少していって、いずれ0になっておわるような印象を持ってやしないか。

日本史の誕生

読了。面白かった。

日本史の誕生 (ちくま文庫 お 30-2) Book 日本史の誕生 (ちくま文庫 お 30-2)

著者:岡田 英弘
販売元:筑摩書房
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都市の発生の機縁は商業であり、商業都市ができてはじめてその周囲に農村が発生するのである。その逆ではない。中国は商業国家ではあるが、農業国家ではない。

洛陽を中心とした陸内の水路網と点在する城郭都市がおりなす商業圏としての中国。韓半島から対馬、壱岐、博多、難波にいたる日本に伸びる交易路。以下、備忘。

  • 紀元前20年ころ:港や船着場を中心に発達したチャイナ・タウンの市場を取り巻く集落が多数あって、そこに倭人の酋長がいる。中国の商業網の末端。末端とはいえ、抱える人口が多いことから魅力的な市場。
  • 紀元10年ころ: 王莽の乱で中国の人口激減(5千万→1千万人)。中国商業網の中央による管理維持が困難になり、博多の集落の長を漢委奴国王に任命、日本の商業網の管理を依頼。
  • 紀元184年:黄巾の乱で元に戻りつつあった人口がまたもや激減。博多の倭王が後ろ盾を失って没落。代わりに邪馬台国の卑弥呼が商業網の管理(238年)。
  • 紀元300年ころ:八王の乱でまた中国混乱。後ろ盾を失って邪馬台国も没落。
  • 4世紀その後:仁徳天皇を初代とする河内王朝出現。
  • 630年:唐がアジア最大の強国に。
  • 660年:唐が新羅とともに百済を攻めて滅ぼす。
  • 663年:倭国、百済救済に兵を送って白村江の戦いで敗北。当時倭国からみて世界は韓半島と中国のみで構成されていて、その全体が敵になり、文字通り世界で「孤立」する。
  • 天智天皇、統一国家「日本」を構築。

以下、壬申の乱、日本書記編纂、古事記は偽書で、と続く。

本当の意味の世界史を書くとなると、個々の文明の歴史の枠組みを超越した、新しい共通の枠組みを開発することが先決である。そのうえで歴史を書くとすれば、国史の建前に逆らい、関係国の国益に抵触し、国民感情を害するものになるかもしれない。

確かに本の読み始めはいつもより落ち着かなかった。

宮崎駿氏の映画や漫画がそれなりにハッピーエンドであること

は、もっともっと喜んでよいのかもしれないと思った。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.html

信頼スプレー

今日は東小金井で学会。
特別講演でオキシトシンとオキシトシン受容体の話を聞く。…wikipediaをみたら、その骨子に近いことが書いてあった。すごいなぁ。

さらにヒトでは、オキシトシンを鼻粘膜投与されると、見ず知らずの相手に対して信頼性を高め、よりリスクの高い投資行動を行ってしまう。

スプレーでシュッとひと吹きすると、吹きかけられた人は、相手のことを信頼してしまう。すでに商品になってるとかなんとか。ドラえもんに出てきそうな話である。一種の麻薬だし、広まる前に取り締まるべきではないのか。

そのほか、自閉症を引き起こす様々な要因の一部として、このオキシトシン受容体の関与を含めることが可能であるとか、そのほかいろいろ。社会行動の制御と相関のあるホルモンとかリガンドとか、そういう事柄が詳細に分かってきたときのことは今から正面から考えておいてもよいかもしれない。

2008年8月 5日 (火)

IT人材市場の需要トレンド

このファイルの34ページ目にありますが。

ITに関わる分野を理論っぽいものから現場っぽいものに順番に次のように並べる。

  1. アーキテクト/デザイン 解析
  2. 設計 / 開発
  3. プログラマ
  4. ITサービス

2000年ころの米国IT人材市場の需用は、1 < 2 < 3 < 4 となっていて、プログラマとかが重宝されてたとのこと。ところが2005年には  1 = 2 = 3 = 4 となったそうで、2014-2020年ころには 1 > 2 > 3 > 4 となりそうだ、とのこと。

うえの4階層の括り方に違和感は持つけれども、IT教育=プログラマの養成という誤解があるならば、それを払拭しなければならないとは思う。

Ruby

東大駒場で教える言語が昨年からRubyになったとのこと。知らなかった。

京都の市バス

今日は京都に。

市バスで京都駅から京大へ。40分近くかかって遠い。バスに乗ってるときの出来事。
観光客の女の子(高校生か?)二人組がバスに乗っていて、目的地に着いて降りようとした。ひとりは220円ちょうどを払って降りて、もうひとりが1000円札を出して両替を依頼したら「小銭がなくて細かくならない。おつりもない。」と運転手。女の子が先に降りた友人に頼みに降りようとしたら「降りてもらったら困る」と運転手は腕をつかみ、車内放送で「現金で支払い予定のお客さん、居たら先に払ってください。釣銭がないので。」と言う。数人先に払うことで釣銭ができて、女の子におつりをわたす。その際、車内放送のスイッチをオンにしたまま「次からはきちんと釣銭のないように220円用意してから乗るように。」と言って、その子を降ろした。女の子は涙目で憮然として降りて行った。

釣銭を用意して滞りなくバスを運行できるように準備しておくのが当然なのではないのか。客が一方的に責められるような話では断じてないだろうに、と驚いた。

で、驚いたという話を京大出身の同僚に話したら、「あぁ、京都市バスの運転手は国内最悪ですから。」と言う。で、その同僚が大学生のころに市バスに乗っていて遭遇したというエピソードのひとつ。

乗っていたバスが左折する際に横断歩道を歩いてるおばあさんが居て、止まって歩き終わるまで普通に待ってるかと思いきや、運転手が車外スピーカーを通じて「早よ渡ってんか」と怒鳴ったとのこと。ほかにも、いろいろ聞いた。

観光資源に恵まれすぎだからなのか、頓珍漢な乗客が多すぎてそうなってしまったのかしらないけれども、いまどき珍しいサービスレベルの低さであった。

2008年8月 4日 (月)

あふぉーだんすっとZ氏は熱く言った

にちようびは東京から名古屋までドライブ。途中3か所で休憩。1回あたりの休憩が平均1時間程度。全部で8時間近くかけて移動。疲れた。
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そういえば、先日アフォーダンスが云々という議論を久し振りに聞いた。いまだにその工学的な魅力がわからない。中村雄二郎「術語集II」にいわく

従来、対象の動きはその変化によって知覚を困難にするものと考えられたが、実は、変化することによって、また変化を通じて、はじめて、対象の変わらざる性質が知覚されることが明らかになった。それだけではない、視覚とは、外部からの情報を受け取る感覚であるにとどまらず、それ自体が運動感覚をともなっていたのである。

これはとても重要というか今では基本的な指摘ではあるけれど。

このように動的な視知覚に対する環境からの働きかけがアフォーダンスである。

といったところで、だからどうなのだろう、と思う。shape from motionだとか固視微動型イメージセンサとか、そういうふうに、運動から対象の形状を復元したり、眼球の微動で明暗の微分演算を実現したりする。特に後者は上記「アフォーダンス」という言い方に近いのかもしれない。でも、仮に後者の話をアフォーダンスという枠組みで眺め直したとしても、それで世界が広がったり違った見え方がするかというと、よくわからん。

これまでに幾人ものひとから「アフォーダンス」について熱く語られたことがあって、そして私はそういう語りにめっぽう弱い方なのに、食指をうごかされたことがない。見事に一回もない。その私のような門外漢から観測される魅力のなさは尋常ではない。一体なにがおこっているのだろう。

すくらんぶる

土曜日に名古屋から東京へ。暑さのせいか、乗る電車乗る電車にお近づきになりたくない人がいる。大声で独り言をいいながら車両内をいったりきたり。発音明瞭にして意味不明。周りの乗客は隣人とめくばせとかしながら様子をうかがったり殊更に無視したり。その人物が大声を出してる間は、間違いなくその人物がその車両内の主役である。しばらくしてその人物が電車をおりてホッとする感じを車内で共有したりする。そのときにはなんとなく車内の秩序が復活したかのような印象をもつ。祭りの効能を思い出す。

2008年8月 2日 (土)

学歴と教養

あぁ吉本隆明氏がちゃんと言ってくれているしつこいけれども、高学歴=バカではないのだ。そうではなくて、たぶん、関係ないのだ。

教養については、
学校や学歴がどうだということとは
全然関係ないよ、と思います。

それはそれとして。

今の現実と、昔の現実を
よく考えあわせられる人、
そういう人がいたら、それが教養のある人です。

感情移入とか多様な人や出来事と出会うことが要求されるかもしれない。後者については色んな人と会うだけではなく、読書が必須ではないかと。あ、前者についても。それよりなにより。

「お前なんか」という批判に対して
マルクスは、
「やはり著作家といえども、
 自己の著作のために
 死ぬことだってあり得るんだ」
と言ってるんです。

私の恩師が、自分の考え方を記した論文の話をしているはずみで、「この考え方に命をかけたっていいんだから」と言ったことがあって、その話を聞いていた私を含む2名の教え子は立ちすくんだことであった。思い出した。そうやって言い切る背景にあるのであろう才能と時間を想像して、「スゲー」とか思ったものであった。で、

それは物書きとして言い切るべきことですし、
理想ですが、
そう言い切るだけの自信が
僕にはないです。

だからこそ、そういう思いに
いつでも直面させられている、と言えます。

という言い方はとてもよくわかる。でも、そのあとに

これはしょうがないのでね。
因果だとか宿命だとか、
そういうふうにでも言っておくより
しょうがないんじゃないかと思います。

言い切るだけの自信がないことを、「因果」とか「宿命」ととらえるセンスが理解できない。なんだろう、気になる。理解できないけど読み飛ばすこともできないから、寝てしまおう。

2008年8月 1日 (金)

非売品の飴

今日利用したタクシーは、思いがけず、本当に思いがけず、いい感じの運転手さんだった。お金を払って降りるとき、「お子さんに」と言って飴玉までくれた。「非売品なんですよ。お子さんのいない人からはいらないって言われるんですけどね。」とのこと。

「写真にとってから食べますよ」と約束したので、撮りました。よくみると、「タクシー」と書いてある。一緒に描かれてる緑と赤の模様がなにをあらわすのかは不明。
Pict0001

ゲームかぁ

ここのページで大学進学が「ゲーム」に分類されていて、高学歴=バカと書かれてるのを見てしまった。「学歴の高低と頭の良し悪しは独立だ」と断ずるなら放っておけるけど、高学歴=馬鹿とか口をすべらせてる人をみると落ち着かない。わたしは、その「ゲーム」を通じて成長したから。…そういえば、ゲームってなんだっけ。

ゲームの本質の話

私はゲームの定義について、

  1. ルール(制限)があり、
  2. 達成すべき目的があり、
  3. 達成を阻む障害があり、
  4. プレイヤーが目的達成のために意志決定できるもの

と考える。

この定義はどうなんだろう。手元のコウビルド英英辞典をみてみる。定義じゃなくて説明だけど。

A game is an activity or sport usually involving skill, knowledge, or chance, in which you follow fixed rules and try to win against an opponent or to solve a puzzle.

あれ、似てるな。目的が勝つことになっているのと、スキルとか知識とか運を必要とするって説明が付け加わっている。あ、あとルールが「固定されてる」と明記されている。

ゲームのルールには勝ち負けの判定法が含まれていて、ゲームなら勝ち負けの度合を正確に定量評価できる。ここが単なる「ゲーム」ではないリアルな人生との違いなのであろうし、学歴競争なんて単なるゲームだという言い方が含む揶揄の核なのであろう。

勝ち負けの定量評価が可能であるがゆえに、そのゲームに対する各人の強さも定量評価しやすい。ルールが固定されていて、勝ち負けの基準が明確に定められているから、ゲームに強くなるために必要なスキルも限定される。そのスキルはゲームごとに異なる。ある特定のゲームやそのゲームを通して身につくスキルに全く興味が持てない人が大勢いるにもかかわらず、そのゲームの強弱だけで他人全員を定量化しようとする人がいると、片腹痛いし鬱陶しい。

そういう趣旨ならよくわかる。あ、そういえば、こんな本があったな。面白かったな。

 エンダーのゲーム エンダーのゲーム
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

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