対馬丸
今日の日経新聞夕刊「あすへの話題」は対馬丸の話だ。新聞記事より。
沖縄戦が始まる前、本土への疎開を指示された学童たちをいっぱい乗せて那覇港を出帆した貨物船の対馬丸は、昭和十九年八月二十二日の深夜、鹿児島県悪石島の沖で「真珠湾の復讐者」と呼ばれていたアメリカ軍ボーフィン号の攻撃を受けて沈没した。
8月22日。1944年の昨日のことであった。気になるのは、非戦闘員を虐殺したアメリカ潜水艦のことと、沈没した対馬丸の船体引き揚げの話だったけれども、ぐぐると10番目に次のページが。
極東ブログ
いずれにせよ、いつの日かこの引き揚げて沖縄の地に迎えて眠らせてあげなくてはならない。対馬丸の惨事は終わった物語ではない。
心から、そう思う。
それから。いかなる理由があろうとも、仮にその行為によって更なる悲劇を防げるという理由が正しいとしても、非戦闘員を大量に殺害することは絶対的な悪である。すなわち、正当化は不可能である。
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