2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月30日 (火)

望郷の道

北方謙三の「望郷の道」は今日で連載がおわった。久し振りに新聞の連載を読み切った。面白かった。なんと魅力的な主人公であったことかと思う。挿絵のセンスにはついていけなかったけれども。

お国の経済

霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書 635) Book 霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書 635)

著者:高橋 洋一
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読了。「金利を下げると経済は上向く、お金を借りてる人の方がパワーがある」というようなわかりやすい解説のくだりは、私のような素人にはありがたい。マンデル・フレミング理論とかが素晴らしくわかりやすく書いてあって読みやすい。でも、ところどころ、例えば国債と金利の関係とか、経済の基礎知識があれば尚更良くわかるのであろう箇所があった。

それにつけても、日銀とか財務省とか、なんと屈託の多いことかと思う。

2008年9月23日 (火)

大学の困難

『現代思想』が「大学の困難」を特集しているとのこと。読まねば。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080923

今の大学の困難ってのは多くは90年代の大学改革が原因なんだから、それをやった連中の罪を問うべきで、元に戻せ、と言うだけでいいのだよ。あるいは東大の定年を五年引揚げたのだって、老人に恩恵を施しただけで、いま61から65の東大教授連が昔どおり定年になっていたら、どれほど若い研究者の職が見つかることか。

定年引き上げの件は、そのとおりなのだろうと思う。引き上げ決定当時に東大に居た同期の友人は学科の会議で反対したけど既にどうにもならなかった、と言っていたっけ。国立大学の教員の多くは定年後に私立大に異動するものだったけれども、最近は受け皿となれる私立大が減っている。

国立大の予算が年々削減されていて、すべての大学が足腰の強度を試されている。予算削減率ますます高く引き上げられる気配であり、予算と人事の権限を中央に握られて大学が右往左往する様は、教育改革の一風景としてみても、あまり美しいものではない。90年代の大学改革が教育改革ではなく経済改革の一貫としておこなわれたとかなんとか、そういうそもそも論には今は興味がなくて、財布を握っている中央がどういうカラクリで大学をどうしたいと考えているのか明示されていないのがもどかしい。

いっそ国立も県立も全部私学にしてしまえとか思うけれども、本当にそうしたら、国立も県立もほとんどすべてが潰れるのだろうな。経営のスキルを持ってないし。そうなって教員が大量に路頭に迷ったとして、そのうちの一人であるところの私はどこに活路を見出そうかな。こういう再配置は喜ばしいことなのかな。もう少し大学に価値を見出してくれてもよさそうなものだが。

憂鬱だなあ。

今日一番驚いたこと

そうか、シナモンはオスだったのか。

仕事の燃料

石井裕教授は原動力を

  1. 知的な飢餓感
  2. 屈辱
  3. 誇り
  4. 情念

言った。誇りがあると屈辱を仕事のバネにできるのであろう。誇りのない人物は屈辱を怒りを含めた熱の形で体外に放出する。そうしないとその人が故障する。

ひととか仕事とか未来とかに関する流転の感覚も、屈辱を仕事の糧にするのに一役買いそうである。ひとを測る尺度は一つじゃないし、今流通している尺度が永遠であるわけでもないし。

2008年9月22日 (月)

多様性とゆとりと格差

ウェブという強力なツールは自習に最適であり、そういうツールを使いこなす人の出現によって「お勉強」の得意不得意の差は拡大するだろうと思う。それ以前に、一流大学→一流企業という人生のモデルが破綻したので、「お勉強」に重きをおかない人物が多数現われ、当人が実質的に重要と考えるスキル(≠お勉強)のみを研く人物が増えたり自己鍛錬の一切を放棄する人物が増えたりする。

その結果、個別のスキルについて比較をすると格差は拡大していくのだろうし、それぞれの目指す方向の多様性は多様化していくのだろう。多様性の推奨は、各スキルにおける格差の許容を要求する。

各授業で個別のスキルの鍛錬をおこなおうとするとき、受講生におけるスキルの格差拡大は、そのまま授業プログラムの再設計を要求する。最も苦手な人にあわせると得意な人は退屈し、得意な人にあわせると多くの人がついていけない。授業時間は限られていて、受講生全員に出席を強制していて、なおかつ教室では教員は全生徒に同じ内容をブロードキャストしなければならないので、授業の最適な内容は人数の最頻値をもつレベルにチューニングされることになる。すると生徒のうち上層と下層の両極が授業に関心を失う。残念ながら、下層の人物に補講をする余力も、学校には無い場合が多い。

この問題を解決するのは簡単で、授業を能力別にすればよいし、義務教育を含めて留年(や飛び級)を認めてしまえばよい。ハンドルの「あそび」と同様、基準(例えば小学校卒業までに要する年数)からのずれを許容するシステムが必要で、でも残念ながら、例えば会社の多くが新卒しか採用しない現状の社会システムとは相反する。

あるスキルについて能力格差が大きいとき、教員の時間の多くは、その能力が下方にずれた人物のケアに割かれることになる。そして、そのケアに必要な時間を確保する「ゆとり」が教員や学校になくなるとき、ずれの補正は本人を経由して保護者に押し付けられる場合が多いのではないかと想像する。親とて時間も能力も体力も有限なのであり、「最低限のスキルを整えてから学校によこせ」といわれて孤立する親がいたら、それはまずい。

とりあえず、個性や多様性を尊ぶ振りをしながら能力格差の存在を認めないのはヘボい。

2008年9月21日 (日)

アキレスと亀

が長い間未解決だったパラドクスだというのは本当なのか。恥ずかしながら、全く知らない。無限等比級数が有限の値に収束する。どんどん足し合わせる数が小さくなるとき、無限に足し算をしても有限の値にしかならないことがある。…ってことだけではないのかしらん。今ではあたりまえでも、当たり前になる前にすんごい歴史があるのかしらん。(疑問に思うなら調べろよ。)

飲み会参加を強制するのはもちろんヘボい

嫌がっているのに無理に飲ませるとか、行きたくないと言ってる奴を無理に飲み会に誘ったり、その誘いを断ると付き合いが悪いとか社交性がないと言ったりすることがヘボいことであるのはとっくの昔からジョーシキであり、その手の強制こそ大人の付き合いだと称する連中を、唾棄すべき連中だと言って切って捨てることにやぶさかではないのです。

すべての人との付き合いの型を、飲み会とかカラオケとかに「統一」している人をみると心配になるのは多くの人に共通です。ところが、白状すると、すべての人との付き合いを「あとはご自由に」というか、自分以外の人をシステムの中の壱機能として扱って、必要な時以外は相手の時間を尊重するという名目のもと一切の関心を持たない流儀にも馴染めないのです。落ち着きません。これはわたしが古い世代に属するからかもしれません。

単に「中庸が良い」という発想でもないのです。中庸という型に「統一」するのも、飲み会全員集合に統一するのも同じです。で、ひょっとしたら、自由放任に「統一」というのも、見方によれば、同じではないか。

各人をよく見て、人ごとに接し方を変える。こう書くと当たり前のことですが。接し方を変えるときに参照する自分の価値基準に100点満点などないのは承知しているのですが。相手の自由時間に干渉するのは、結構いろいろなことを考えた後でのことなのです。

戦い終わって日も暮れて

ようやく学会の地方大会がおわった。「事務局」を務めてわかったこと。大会事務の仕事の9割は「 大会プログラム」と「 受付で使う名簿」の二つのものを作るために費やされる。…ってことが分かっていれば、もう少し要領よくいろいろ仕事を割り振れたかもしれない。小さな事故はたくさんあったけれども、とりあえず無事に終えたほっと一息。

2008年9月17日 (水)

景気

定期的に届く、ローカルな「タウン誌」がある。車に少し乗れば行ける店の紹介とか求人とかが掲載された、写真もふんだんに載った小冊子である。山形から名古屋に越してきたころ、そのタウン誌の質量の充実ぶりに驚いたものであった。ページ数が多くて、店舗数も多くて、求人件数も多かった。

のだけれども、しばらく前から、そのタウン誌のページ数がどんどん減っていて、求人件数も減っている。…なんだろう。いやだなぁ。

小型プロジェクタ

http://japanese.engadget.com/2008/09/15/3m-mpro110-led/

…にジャイロとか位置センサをつけて、廊下に設置したカメラと同期させれば、壁の向こう側の景色を壁に投影して「透かして見える」ようにできそう。実画像じゃなくても、仮想的に「体内」のCGを体表に投影すれば、スケルトンを見ることが出来そう。人体にMRIを投影したり、壁に配管を投影したり、広告に効果的な動画を投影したり、その他色々、遊べそう。

2008年9月15日 (月)

Distributed Compressed Sensing

http://www.dsp.ece.rice.edu/cs/DCS112005.pdf

Compressed Sensingの基本は、ひとつのセンサの計測データに対するエンコード/デコードであるが、上記論文は分散配置したセンサに対するそれに関する理論。

Compressed Sensingは、エンコード側で(圧縮率を高くしつつデコードしやすいように)工夫すrのではなく、エンコードには対して気を使わずデコード側で頑張る話である。ので、上記論文も、分散配置したセンサがそれほど気を使わずにエンコードして中央のサーバにデータを送信して、サーバ側が頑張ってデコードする。このとき、分散配置したセンサが共通の音源からの音であるとか、似た地域の気温分布であるとか、計測データをセンサ間で共通する要素とそうではない要素とに分解できるような場合について「サーバ」でどのくらいデコードを頑張れるかを考えている。

なんというか、なるほどなぁという感じは得られる論文。エンコード側で工夫する感覚が染みついているので、途中何度も違和感を感じて読みにくかった。

マランツ・巨峰・否定・セミの居ない夏

  • マランツのアンプが壊れた。修理について電話で問い合わせたら「エイデン」が修理の窓口とのこと。今日さっそく持っていく。前金3000円、引き継ぎ代1000円強。治るとよいのだが。
  • 巨峰狩りに出かけた。大人ひとり1200円、幼児ひとり500円。ひとりひと房程度食べると、満足する。ぶどう畑からでてきたら受付のおっちゃんが「元とれたぁ?」と笑いながら聞いてきた。突然だったから気の利いた答えができず、えぇまぁぶどうを狩る楽しみ込みの料金なので…とくそまじめに答えてしまった。えぇ、本当に楽しかったですよ。
  • テレビで、ハリウッド製自然災害パニック映画を見ていたら、洪水で家の中に突然大量の水が流れ込んできて、目の前で家族が流されてしまうのを登場人物が見て、「No!」と叫んでいた。たまたま音を消して見ていた(バックグラウンドテレビ)ので、日本語訳がなんだったのか不明。不意の災難に遭遇して発する日本語のうち「No」の語感(「いいえ」とか「違う」とかかな)とマッチするのはなんだろう。「駄目!」とか? あの「No」は、「こんなことは起こってはならない」といった感覚なのだろうか。誰に対して何を否定してるんだろう。ずいぶん日本語の場合と感覚が違う気がする。
  • 9月中旬だというのに、ちっとも涼しくならない。湿度が高く、気温も日中は30度を超える。彼岸まで続くのかもしれないけど、それにしても蒸し暑い。日中真夏のような蒸し暑さの中にいて、でも耳をすましてもセミの声が一切聞こえないのが少し異様であった。湿度・温度・セミの声はセットになって私の体に組み込まれているようであった。

2008年9月12日 (金)

Dirichlet Process Mixtureの実装

をしたいと思っていたら、matlabで作って公開している人が。

http://people.csail.mit.edu/jacobe/software.html

変分ベイズ法などでは実装が難しくなる場合があるけど、DPMだとそれがないとのこと。

2008年9月11日 (木)

生活維持省と「イキガミ」

漫画「イキガミ」の筋が星新一の「生活維持省」とそっくりだと思っていたところ、星新一の娘さんがそのことで頭を痛めているということを筒井康隆氏のブログで知った。「イキガミ、いかがなものか」と大勢でつぶやくことは意味のあることではないかと。

いかがなものか。

流言

秋葉原の無差別殺傷事件の際近くのオフィスにいたという人の話を聞いた。

外が騒がしいので外に出てみた(よせばいいのに)ところ、その界隈=現場の近くに居た人たちの間では、「通り魔の犯人は2人」説が流布していて、1人逮捕後も油断できないという話になっていたとのこと。実際の犯行は2分程度の短さで凶行のあと逮捕されるまでの時間は短かったにも関わらず、犯人は本当は1人であったとその人が知って納得したのは、犯行後約2時間経ってからであったらしい。

非常時に不正確な情報に晒されることからは逃れようがなさそうである。

2008年9月 9日 (火)

ケンブリッジ大学の入学試験

は、面接だ。統一のテストでしかるべき点数を取った後ではあるけれども。入試の形態の違いだけを見ていても仕方ないけれども。でも、高校生が大学進学を考えるときの気の持ちようとか、教員が学生を受け入れるときの責任感とか、少し違うだろうなと思う。

台風

アメリカで台風を番号ではなく名前をつけるそのこころはなんだろうという話になった。こんなページを見つけた

なぜ台風に女性名を使ったかというと、当時台風の観測では海軍や空軍が飛行機で台風の中に入り、台風の中心から観測機器を投下して台風の観測をするという 荒っぽい仕事をしていました。遊び心から奥さんや恋人の名前を台風に付けて、親しみを込めて呼んだことが始まりといわれています。女性名で熱帯低気圧を呼 ぶ方式は、アメリカでも1950年から正式に採用されました。

台風の中心気圧を飛行機で測っていた、そのときからはじまったとのこと。今は飛行機で測ったりはしない。どうやっているかというと、過去の台風の雲のパターンと気圧の記録を手掛かりに、衛星写真でとった新しい台風の雲のパターンから「推定」している。気圧計を用いて直接測るわけでも、海面の高度など気圧との関連の直接的な現象に基づいて推定しているわけでもなく、雲の形の類似度で推定している。結構、おおざっぱ。名前は今知った。ドボラック法と呼ぶらしい

こうした台風の雲パターンに関する知識を体系的にまとめたものがドボラック法(Dvorak method)です。

画像認識の手法で自動化したいという話を2,3年前聞いたけれども、今はどうなっているのだろう。

手帳

もう、来年の手帳の季節だ。早い。まだ暑いのに。鬼が笑うぞ。

PDAが流行らなかったのは、デジタルメディアより紙メディアのほうが可搬性・軽量性・耐久性に優れていて、アクセスに要する時間も短くてバッテリーも要らなくて、安価だからだ。検索できないこと以外は、たいてい紙メディアのほうがすぐれてるし、手帳で「検索」を必要とする機会は多くない。

来年の手帳は何にしようか。今年はほぼ日手帳を使っている。1日1ページの手帳。使ってみて気づいたけれども、メモや個人用各種議事録などで1日当たり必要とするメモ用紙の量は、手帳1ページよりも多かった。しかもコンスタントに毎日必要なわけでもなかった。というわけで、来年はほぼ日手帳は(嫌いじゃないけど)採用しない。

手帳のほかに1冊のノートを持ち歩いて、その1冊に各種メモ書きをまとめる習慣が定着しつつあるので、来年の手帳は1か月程度先までの予定を俯瞰しやすい小さめのものにしようと思う。でも、超整理手帳はバラけて使いにくかったので、何か別のものを探そうと思う。能率手帳でいいんだけど、ちょっとスノッブにあちこち物色して高級品とか舶来物とか見てから決めよう。

2008年9月 8日 (月)

モリー先生

余命あと1日と言われたらその一日は何して過ごすかと聞かれて、モリー先生は「普通に起きて、散歩して、友達と食事して…」と答えていた。

無人島の1冊とか1曲とか、余命1日の過ごし方とか、そういう質問をされて真剣に感情移入して考えることができるようになってきたのは、恥ずかしながら最近のことである。

最後の1日に聞きたい曲。無人島に持っていく本。最後の日に一緒に過ごしたい人。過ごしてくれる人。人については妻と子が居て、妻と子しか居ないことに毎回気付く。

本と曲は困る。人類が生み出した最高傑作をお供にしたいけど、正直言って、よく分からん。なんとなく、読みかけの論文を最後まで読まないと落ち着かないから読み出して、最後の貴重な1日をつぶしてしまいそうな気もする。せっかくだからその論文が面白い論文だといいなと思う。あと、そういう過ごし方を許してくれそうな人と最後の日は過ごしたいなと思う。のであった。

2008年9月 7日 (日)

踊る・ちほう

複数の学会で「連合大会」を開催したとき、そこで発表された論文の著作権をどう管理するのか。これまで曖昧にしてきたことをクリアにする必要に迫られて、クリアにしようとしたトタン屋根、学会間のポリシーが異なって、協議が難航することに。

著作権の管理ポリシーには、関連学会全体で「共有」する戦略と、著者が属する学会ごとに「分割管理」する戦略との2種類が用意されている。で、前者とすべきだと考える学会と後者にすべきだと考える学会が混在していることが最近明らかになって、しかもそういったポリシーの決定は各学会の中央でおこなわれており、地方支部に意思決定の権限など無くて、でも戦争の前線は地方支部の会議室であって、意見調整に寄与する能力のない教員のみによる意見調整のための会議という恐るべき時間の浪費が地方ごとに発生する可能性がきわめて大きく、そういう事態に突入するか回避できるかの瀬戸際に今おります。SOS。SOS。部外者がみたら完全にちほうの集団です。

2008年9月 6日 (土)

ぼんさん

マンションの横を歩いていたら、銜え煙草で袈裟を着た年寄りの坊さんが階段を降りてきた。そのまま自転車に乗ると出かけていった。この坊さんには見覚えがある。昨日私が狭い路地を歩いているときに後ろから自転車のベルを鳴らして私を脇に寄らせて、スピードを落とすことなく走り抜けていった坊さんだ。袈裟を着てるだけで糞爺と呼ぶのに抵抗を感じて、でも糞坊主という呼称を思い出してホッとしたりしたのだが。横綱の品行なんかより、こういう坊さんの品行のほうがよっぽど気になるわい。

大徳の糞ひりおはす枯野哉(かれのかな)  蕪村

僧正が野糞遊ばす日傘哉(ひがさかな)  一茶

2008年9月 5日 (金)

美羽様から完全無料メッセージが届いた。

それでも迷惑メールは届く。本文につぎのとおり。最初は読点。

※完全無料、不当な請求等一切御座いません。安心してご覧下さい。

完全無料など一切無い、と書いてあるのですね。(この手の曖昧な文は学生のレポートにも散見される。)

2008年9月 4日 (木)

なぞなぞケロロン

がおがおぶーがおわって、「なぞなぞケロロン」がはじまった。

何の動物か当ててみてね。 クイズを出す際、ケロロンはいろいろなヒントをくれるよ。「頭が卵の形で、目はキョロキョロ」(中略)

ケロロンのヒントは言葉通りに画面上で再現されるけれど、それは時として奇想天外(きそうてんがい)な姿になることも。実は正解から遠ざかっていることもあるので気をつけてね!

「百人一首」と聞いて、百人の体に首が1本の絵が出てくるようなノリ。こういう番組は好きだ。我が家の子も集中して観ている。

2008年9月 3日 (水)

google chrome

インストールして試した。第一印象は軽くて快適。OSが遠のいてブラウザがプラットフォームになって云々というシナリオはアプリケーションショートカットで少しだけ感じた。少しだけ。

タブの移動の自由度は便利でこれに慣れると、タブの自由度の低いブラウザは使う気にならないだろうなと思った。

従来のブラウザ上部にみられた「ファイル」とか「ブックマーク」とかのメニューが一切無くなって、タブのほかは検索とURLの入力を兼ねた窓がひとつと、リロードと戻る/進むのアイコンだけ。特にブックマークが基本的に隠されたのは私には大きな変化だった。新しいタブを開くと「よくアクセスするページ」の一覧がアイコンになって表示される。新規のページを開く手段は検索、URL入力、よくアクセスするページからの選択、ブックマーク、RSSリーダのクリックによるブラウザの起動などなどいろいろあって、それらの比重がヘビーユーザの間ではずいぶん変わってきてるのかもなぁと思った。

私はライトユーザに分類されるであろう人間で、ウェブへのアクセスは、(0)gmailなど頻繁にアクセスするページが数個あって、そのほかのページへのアクセス法を頻度順に並べると(1)検索(2)RSSリーダから起動(3)ブックマークといった順序になる気がする。調べたことないけど。あくまで印象。

今日一日デフォルトのブラウザをgoogle chromeにしてみて、(0)gmailのように頻繁にアクセスするページはブックマークバーに登録しておいて、(1)(2)はそのままで、(3)のブックマークの部分は「よくアクセスするページ」から選択することが多くなった。

ブラウザに対する操作がどの程度の割合で定型化(ルーチン化)していても、その割合にあわせてカスタマイズできそうなところがかっこいいということかしらん、と思う。定型的な部分は「よくアクセスするページ」とかRSSリーダとかとの連携で間に合って、それ以外は検索して。

グーグルブックマークとグーグルノートを多様している素人な私としては、それらとの連携があまり謳われていないのが不満で、そのことがブラウザをめぐるトレンドの変化によるのか単にベータ版だからなにもしてないのかが、全く分からないのであった。ブックマークをあちら側に置いておくのは、すんごく便利だと思うんだけど、google chromeはそのような仕様になってない気がする。なにか知らない使い方があるのかな。

ハイエク

ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書 543) Book ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書 543)

著者:池田 信夫
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読了。読みやすかった。ハイエクに関係のある人とか考え方の一覧を知ることができた。

晩年のハイエクは、ノーバート・ウィナーのサイバネティクスやイリヤ・プリコジンの非平衡系の熱力学、あるいはフランシスコ・ヴァレラのオートポイエシスなどの「複雑系」や「自己組織化」の科学に興味をもっていた。

きっと「生物と無生物の間」の「動的平衡系の許容性」のようなことも感じ取っていたのであろう。味噌汁の亀甲模様と経済活動の秩序の双方に通じる数理。ちなみに、例えばreaction-diffusionの数理は画像処理のような辺縁の工学にまで届いている。散逸構造とかそういうのが好きな一派に属する画像処理屋なんてのも存在していて、欧州で根強く活動していてる。

2008年9月 2日 (火)

怒りのインパルス応答

今日の帰り道。

清里駅で1列に並んで電車を待っていたら、電車の到着とともに横からニキビ面の若造2人が割り込んできた。ので、肩を掴んで「並んでるんだけどな」とかなんとか言って払いのけた。電車は比較的混んでいた。若造連中はあとから乗り込んできて席を探して車内を1往復し、復路の途中で中年夫婦に席を詰めてもらって、坐っていた。決して丁寧とは言えない礼をその席を詰めてくれた夫婦にしていた。若造2人が病気とか怪我とかしてるようには決して見えなかった。

小淵沢駅のホームにて、登山グッズで完全防備した中年のおばさんがペットボトルを自販機横の地面に平然と捨てていたのを見て「それ、そこに捨てるんですか」と聞いたら、憮然とそのボトルを拾い上げて私から離れて、どうするかと見ていたらホームなかほどにある木のベンチの下に捨てた。

わたしはこういう出来事が1回あるとそのあと十数分間不愉快を引きずる性質であり、落ち着かない。怒りのインパルス応答の減衰はゆっくりであり、散発的にでも繰り返しインパルスが入力されると、怒った精神状態が持続することになる。

2008年9月 1日 (月)

清里から電車で帰宅

小淵沢・塩尻近辺には、登山靴を履いて、リュックにストックを角のように生やして、完全武装した中高年が大勢居た。リュックのストックは後ろを歩く我々の目の位置に伸びていて凶器であり、ペットボトルでお茶を飲んでいた婦人は空のボトルをためらいなく自販機横の地面に置いて捨てていた。マナーの悪さは目を覆うばかりであり、彼ら彼女らの喧噪は山々の楽しみの対極にある。

首相辞任

小泉後の首相が2人連続で自ら辞任。「官邸主導」も今は昔。

wikipediaより

「政治家になるつもりはない」と語っていた福田だが、父の後継者とされた次弟(横手征夫)が病気となり、母三枝が後継者に推したこともあって、政治家を志す


女性スキャンダルが問題視され辞任した中川秀直に代わって内閣官房長官に就任

自分から進んで今の進路を切り開いてきた人ではなかったようで。

「積年の問題への対処に忙殺された」

誰かの代わりにやらされてる感の強い台詞で一国のリーダーの退陣の台詞には残念ながら聞こえない。

首相は国民による投票で選らばれるわけではないし、今回のように国民の同意を得ずして辞めても、残念ながら我々は不安を感じない。政治の空白はそれほど生じず、優秀な官僚の方々がいつもとかわらずたんたんとコトをすすめてくださるのに違いない。とほほ。

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »