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2008年9月22日 (月)

多様性とゆとりと格差

ウェブという強力なツールは自習に最適であり、そういうツールを使いこなす人の出現によって「お勉強」の得意不得意の差は拡大するだろうと思う。それ以前に、一流大学→一流企業という人生のモデルが破綻したので、「お勉強」に重きをおかない人物が多数現われ、当人が実質的に重要と考えるスキル(≠お勉強)のみを研く人物が増えたり自己鍛錬の一切を放棄する人物が増えたりする。

その結果、個別のスキルについて比較をすると格差は拡大していくのだろうし、それぞれの目指す方向の多様性は多様化していくのだろう。多様性の推奨は、各スキルにおける格差の許容を要求する。

各授業で個別のスキルの鍛錬をおこなおうとするとき、受講生におけるスキルの格差拡大は、そのまま授業プログラムの再設計を要求する。最も苦手な人にあわせると得意な人は退屈し、得意な人にあわせると多くの人がついていけない。授業時間は限られていて、受講生全員に出席を強制していて、なおかつ教室では教員は全生徒に同じ内容をブロードキャストしなければならないので、授業の最適な内容は人数の最頻値をもつレベルにチューニングされることになる。すると生徒のうち上層と下層の両極が授業に関心を失う。残念ながら、下層の人物に補講をする余力も、学校には無い場合が多い。

この問題を解決するのは簡単で、授業を能力別にすればよいし、義務教育を含めて留年(や飛び級)を認めてしまえばよい。ハンドルの「あそび」と同様、基準(例えば小学校卒業までに要する年数)からのずれを許容するシステムが必要で、でも残念ながら、例えば会社の多くが新卒しか採用しない現状の社会システムとは相反する。

あるスキルについて能力格差が大きいとき、教員の時間の多くは、その能力が下方にずれた人物のケアに割かれることになる。そして、そのケアに必要な時間を確保する「ゆとり」が教員や学校になくなるとき、ずれの補正は本人を経由して保護者に押し付けられる場合が多いのではないかと想像する。親とて時間も能力も体力も有限なのであり、「最低限のスキルを整えてから学校によこせ」といわれて孤立する親がいたら、それはまずい。

とりあえず、個性や多様性を尊ぶ振りをしながら能力格差の存在を認めないのはヘボい。

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コメント

kobさん、いつもどうも。
残念ながら向学心の問題では全然なくて、教育システムやプログラムの問題です。

理想論としては当人たちの向学心など次第では、
スキルの多様性からお互いにこっちは教えるがこっちは学んで、
といった関係にも発展する可能性もなきにしもあらず、と言ったところでしょうか…。

僕は教えられてばかりですが:P

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