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2008年11月17日 (月)

「日本沈没」

小松左京の日本沈没は、日本の国土が沈んで四散した日本人のその後を問うための小説で、肝心の続編は別の作者によって書かれたようで、でもその続編をわたしは読んでない。筒井康隆の日本以外全部沈没はパロディだけれども、土地を失った人々が異国の日本で舐める辛酸が描かれているという意味で、日本沈没の続編でもある(うそ)。

国を追われた多くの人は基本的人権であるところの各種自由の無い辛い人生を強いられる。住む場所とか職業とか婚姻とか思想信条とか。で、そういう虐げられた人々が異国の地にあって宗教に助けを求めるというシナリオは私には想像しがたい。私が不信心だからかもしれない。宗教ではなく、移民先で似た境遇の者を必死で探して、会って会話して、情報を交換したり慰めあったり助け合ったりすることに助けを求めることになるのだろうなと想像する。そして、そういう連中との会合の場を異国にあって自然に確保してくれるのが講というか、寺とか神社とか教会とか、宗教の役割かもしれないとは思う。そういう場で情報交換に用いる言葉は、講で話される言葉になるのかしらん。よく分からない。

異国に出向いて子供が出来て、その子に現地の異国で幸せに暮らして欲しいと願うときには現地語をマスターさせたいと思うけど、マスターしたところで移民として虐げられることが自明なときには互助会としての講とか教会で話される言葉もマスターさせることになるだろうと思う。

移住先でもネットはつかえて、その環境の文字コードで漢字が正しく表示されないこととかは二の次であり、生き死にのかかったコミュニケーションとしては現地のネットの環境で表示される文字コードがコミュニケーションに採用する言語の表記を規定するのであろう。ネットの環境が母語を規定することはありえて、それはそれで全然構わない。

さかのぼって。研究の分野で英語が必須になっているのはとっくの昔から事実で、ネットを介した英語によるコミュニケーションが研究を加速しているのも間違いないけれども、そのことから初頭の教育をすべて英語でおこなうようにすると結論が導出されるわけではない。

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