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2008年12月 1日 (月)

安野光雅「ふしぎなえ」

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081201/1228090617

これ(「ふしぎなえ」)は名作なんですけど、見る人によって異様な魅惑をもつかというのはあると思う。(中略)

この手の感覚は生得的な脳機能的なものだろうと思う。

あの魅惑が「見る人よって」のもので、生得的な脳機能のようなものに依存するとは、高校生の昔のころは思いもよらなかった。

以前は、人工知能とか画像認識とかに興味があってその道の研究者になった人には、あの手の感覚の強い人が(全員ではなかったにしても)多かったように思う。私の先輩とか上司とかにも多かった。画像認識の研究を進める上では、むしろあの感覚に拘ってしまう自分が最初は鬱陶しかったし、問題を定式化する上では弊害ですらあった。

(そういえば、鉄腕アトムにあこがれてロボットの研究を始めたり、研究を続けるモチベーションにしたっていう話を良く聞くけれども、そしてそれはある程度本当だろうけれども、本当に動くものを作り上げる上ではむしろ弊害のほうが多いんじゃないかと勝手にわたしは思っている)。

昨今の画像認識に関する研究の進展というか統計的手法の著しい発展で、例えばデジカメに顔検出器が乗っかったりするようになって、で、そういう成果の多くはあの手の感覚が喚起する魅力とは少し離れた、統計・数学の世界から生み出されている。

「魅惑」を神聖なものというかウェットな思い入れとともに大切にするのではなくて、魅惑を大切にしつつもドライに(数学的に)定式化して(工学的に)実現する力が必要なのであった。…というか、神聖なものにウェットな湿り気を感じるのはわたしだけなのか、日本特有なのか、世界的にみてどうなのか、よくわからない。

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