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2008年12月12日 (金)

こどものころ

極東ブログ:教育について


さらにいうと、私は初等教育は地域の人が先生になるとよいと思っている。警察官に学ぶ、魚屋さんに学ぶ、コンビニのバイトにお姉さんに学ぶ、と。子どもはやがて地域の人になるのだから、そういう人になるという目的がはっきり見えるとよいと思う。


転勤続きで育って「ふるさと」にあこがれる身には、すこしうっとりする光景。わたしが小学生のころの「地域の人」は子供会や少年野球チームでお世話になった、友達のお父さんやお母さんたちだった。今思えばいろいろなお父さんがいたし、野球の練習中やそのあとで色々話したものだった。そういえば、近所の大学生のお兄さんで野球好きの人がコーチに来てくれていて、彼からはいろいろオトナな話を聞いてドキドキした記憶もある。


SATのような達成水準を大学組織で提示して、それを段階的に習得させる学習体系があればよいのではないか。


現状は、高校で使われている教科書と指導要領が、大学入試問題を作成するときの拘束条件になっている。大学での教育プログラムが入学レベルを要求する、という本来あるべき姿とは逆向きになっているかもしれない。


特に、民事訴訟はどのように行うかということは一教科にしたらよい。もう一つやって欲しいのは、「お父さんお母さんの税金」という科目を作ることだ。市民がどのように公僕を養っているかという仕組みは中学生くらいでしっかり知っていてもらいたい。


裁判員制度を導入する御利益は、裁判に参加する我々国民の「公民」科目に関する経験知が上がることではないかと思う。税金の話とか三権分立の話とかは、自分が子供に話すつもりでいたけれど、学校で習ってくれればそれでいいかな、とも思う。


茄子の花


わたしの父は週末に家族をよく山に連れ出してくれた。いわゆる「キャンプ場」で大勢と群れるを嫌い(というか憎んですらいた)、ひと気のない普通の山里に。その行先は毎回父が決めた。ひょいと仕事帰りに5万分の1(だったかな?)の地図を買ってきて、その地図を見て面白そうな場所=ひとはいなくて、散歩ができて、飯盒で飯を炊いて家族で昼飯を食べて、鳥とか虫とか花を見て帰ってこられそうな場所を探し出すことが得意だった。茨城の山の小川で見た、水中の岩肌で銀色に光る水蜘蛛を見つけた光景は忘れられない。地図から目的地を見つけ出す能力を父から引き継がなかったことは、後悔している。


生命や宇宙というものに、ある実感をもった。


finalvent氏と同種のものかどうか分からないけれども、わたしにもある種の実感はあって、この手の実感が自分にとっての分厚い土台になっているらしいことに気づいたのは、随分と歳をとってからであった。自分の子供にも築いてほしいし、そのための機会をできる限り与えたい。

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