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2010年6月

2010年6月26日 (土)

大学教員の労働量

ここアメリカの大学の工学部のtenureの教授の労働量はとても多い。日本の大学教員の比ではない。教育・研究・資金獲得に週末返上で働き詰め。そしてとても多額の資金を(実力のある教員は)毎年獲得し続けている。その額のうちの50%以上は大学に寄付、残り半分から色々捻出している。自分の賃金も基本的にその獲得資金からである模様。競争的資金の継続的な獲得を前提とする仕事。経済的な観点からとても不安定に見える。tenureになることが将来にわたる経済的な安定性の補償をいくらかでも意味するのなら、学生や外部の者にはわからない不文律のようなものがあるのかもしれない。

競争的資金獲得とか

研究助成の資金はもちろん競争で決まるわけで、その公平性とか審査の透明性とかは強く要求される。で、各分野への助成金額の配分比率とか、募集要項に記す文言とか、競争が始まる前から既に分野間で競争は始まっているのであり、そういう競争前の競争は何も日本だけでおこなわれているわけではなく、どの国でもおこなわれている。ここアメリカとて例外ではないのだな、と思うことしばし。

2010年6月23日 (水)

子供向けの番組

Martha Speaksが面白い。DVDも買った。

子どもたちは Handy Mannyが好きだ。同じディズニー・チャンネルのMickey mouse clubhouseより面白い。NHK教育で朝放送されてもおかしくない気がする。入ってこないものかしらん。Special Agent OSO も良い。more or lessの台詞の使い方はこの番組で知った。

ディズニーの短編のアニメーションが放送される。ドタバタの度合いが今と全然違う。キャラクターは共通してるけど、今放送されてるものとは別物。

2010年6月22日 (火)

うた

中学生のころ、「月光」とか「春」とかのクラシックの曲が有難がられる理由が分からなかった。月夜とか春とか雨とか、静かにその中に居るのが好きで、それらの曲があたかもBGMを強制するかのようで邪魔であった。

夏目漱石「草枕」の冒頭

住みにくき世から、住みにくき煩いを引きぬいて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である。

(中略)

喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り離そうとすると身が持てぬ。

…歩きながらここまで考えて、主人公は石につまづく。煩いを引き抜く話と、喜びと憂いが表裏一体という話とがどう結びついたのか、読んでもよく分からない。

昨日、娘から父の日のプレゼントをもらった。kindergartenで作ったもの。その中に、Footprintという詩が引用されていた。先生が生徒全員にその詩の書かれた用紙を配って、そこに子供が絵とか字を描く趣向。詩で不覚にも目頭が。詩では、子供がパパに「もっとゆっくり歩いて」と言う。小さい声や語られない思いが代弁されると胸をうつことがあるもよう。

ほぼ日で「自然と切り離されていない、下半身のある歌」について考えが進んでいるとのこと。楽しみにしている。露悪ではなく、喜びと憂いの表裏一体なことを知った上で、憂いの方を喜びのシルエットのように織り込んだ歌がほしい。歌うことで落ち着ける歌、歌うことで父や子供と繋がれる歌、星の数ほどいる古今東西有名無名のプロフェッショナルたちとつながれる歌がほしい。

2010年6月18日 (金)

一般画像認識

画像による物体認識に関する発表が盛りだくさんであった。20年前には画像認識といえば文字認識のことであり、しかも文書は今後ワープロで作る機会が増えるから文字認識の研究はそのうち無くなると当時言われていたものであった。

グーグルを代表とする画像検索の需要が増して画像認識の研究が今日のように盛り返してくるとは、国どころか会社の上司にも研究者自身にも予測のできないことであった。

学会最終日

画像屋は統計屋にデータを提供するだけの存在に成り下がったのか、画像処理は統計の一分野に過ぎないのか、と問う人は潜在的には大勢居る。統計に含まれないのなら、その統計に含まれず画像の分野に固有な問題とは一体何か。それを明文化出来る人は少ない。でも明文化することに精力を傾けて定式化しつつある人は居る。

あらかじめ十二分に考えた上で学会に参加しないと、最先端の場に実はいるのにそのことに気づかないってことが起こりうる。おそろしや、おそろしや。

2010年6月17日 (木)

解析的

関数は解析的であると仮定する。何回でも微分できると仮定する。その結果、関数の一部を変化させようと思うと、全域にその変化が伝播するようになる。バタフライ効果とは違う。微係数の変化を介して末代にまで影響が及ぶ。

デジタルな計測やアナログ計測の雑音は、微係数を取りこぼす。その結果末代にまで及びうる影響が計測値からこぼれ落ちる。現状はサンプリング間隔を狭めることで取りこぼす量を減らそうと努力している。画素は稠密になって、フレームレートはあがって、サンプリング周波数は高くなって。

でも人や生き物の感覚器は別のやり方で取りこぼす量を減らしているのです、たぶん。

子供の送り迎え

いま住んでるロサンゼルスの近所では、幼稚園から高校にいたるまで、多くの場合、親が子供を学校まで送り迎えしている。電車通学をしようにも公共の交通機関はなく、バスはそこそこ走っているけど学区を網羅する程でもなく、生徒は自動車を運転できず、結果的に親が子供を送り迎えすることに。

中学生とか高校生のころは、学校からの帰り道が楽しかった。買い食いしたり、寄り道したり、いろいろ。あの時間帯がなく、思春期の子どもたちが親に送り迎えにこられて、学校から帰った後、なにして遊んでいるのだろうと思う。日本ほど学校での屈託がないということかもしれないけど、それにしても不思議だ。

中学生、高校生になったあとでも「近所」が機能しているということか。日本の都市部では高校生になるともう「近所」は機能してないと思うけど、これも地域によりけりなのかしらん。

アメリカの等身大の中学生の日常の描かれた映画ってあったかな。すくなくとも私は観たことが無い。

2010年6月15日 (火)

学会の光景

ワールドカップが話題に挙がること多し。おまえら勝ってよかったな、といろいろな国の連中から言われた。日本が勝ったことは、ギリシアの学生に聞くまで知らなかった。知らなかったと言ったら、あきれられた。あきれなくてもいいのに。

コヒー飲み場にテレビがあって、当然ワールドカップの試合が中継されていて、みなそちらを向いて熱心に観ている。コーヒーブレーク中に研究者どうしでコミュニケーションをとって、そこで個人的に交わされる会話こそが研究の最先端、とかいう話じゃなかったのか。嘘つけ、である。

学会会場は当然無線LAN常時接続で、でも以前のようにPCで内職してる人の割合は減って、iphoneとか携帯端末でメールを確認したりwebをみたりしてるひとの割合が増えた。

発表のメモとか議事の記録とかにgoogle documentを使っているひとは多い。特に議事録については、共有もできるし、社外秘とかじゃなければ猛烈に便利である。でも、ごくたまぁにファイルが壊れることがあって。困る。

ひとの発表中に居眠りするのは日本人だけではなく、ありきたりな発表では結構各国のひとが寝ている。そういえば大学の講義中に居眠りする学生なんて日本にしかいない、と散々きかされてきたけど、嘘である。UCLAでも講義中に寝てたり内職してたりする学生は普通に存在する。

こくみんのおんがく

両親がインドからアメリカに移住して、本人はアメリカ生まれ・アメリカ育ちの「インド人純血種(本人談)」のポスドクの学生がいる。いつもiPodで音楽を聞きながら仕事をしている。今回彼が運転する車に同乗して学会に出張に出かけた。片道8時間のドライブ。同乗者はインド系アメリカ人・トルコ人・日本人の3人。研究室での年齢上位3人の人種構成がこのようになっている。

道中車内で音楽を聞こうということになって、各自が持ってるiPodにどんな曲が入っているかを披露しあうことになった。で、インド人の彼は、みごとに全部インド音楽であった。本人も「俺のはドライブで聞くには向かないよ」と言っていた。確かに、まったく不向きであった。

普段あのインドの音楽を聞いて仕事をしてたのか。日本人のわたしでいえば、iPodの全曲が民謡とか演歌といった感じであろうか。思いもよらないことである。

そういえば、わたしのiPodに入っていたUtada Hikaruが英語で歌っている曲を聞いて、インド系学生曰く「歌ってないときはアクセントはしっかりしてるんだろうけど、歌うとアクセントがなくなる歌手は多い。不思議だ。」 とのこと。第二外国語で歌を歌うのは難しいよなぁ、と思ったことであった。

とはいえ、インド系学生君も「this is nice」といっていたし、当研究室にはひとりUtadaの熱狂的ファン(アメリカ人)も居たりする。彼は、Utadaと結婚したいと言っていた。

2010年6月14日 (月)

スタンフォード大学

に純粋に遊びにいったら、博士号授与式だった。こちらの国らしい華やかなパーティがあちこちで。

日本ならキャラメル・パパとかママとかいって揶揄の対象になりかねない、自慢の息子・娘を祝福する父母のベタな光景があちこちで。微笑ましい光景でもあるし、見ていて引いたりすることもなかったけど、軽い違和感を覚えたのは事実。こういうときに素直に父母への感謝を表現できる文化は少しだけ羨ましくもある。

トルコの学生さんの視点

トルコの学生さんから聞いた話をメモ。

トルコとイスラエルの関係が変化した転機は何かと聞いたら、2年前にイスラエルとシリアの間を仲介して、うまくいって、にも関わらずイスラエルが事前にトルコに通知することなくガザを攻撃した時だ、と躊躇することなく答えてきたのが印象的だった。ダボス会議の件の背景も、このことだったとのこと。

エルドアン首相の印象を聞いたら、好きじゃないけど彼のすることには一理あるし考え方は理解できる、とのこと。一方軍隊の印象を尋ねたら、あまり良い印象を持ってない模様。「昔は政治介入したあと民主的な政体を推進したけど、その後頓珍漢になってきた」とも。軍による政治介入の際に、父親が関係書類を隠したり燃やしたりしたことも体験として話してくれた。

今回の支援船の狙撃による死者は、「トルコ市民が戦争以外で他国政府により殺された最初の犠牲者なんだ」とも。そういう観点での報道はあまり見かけなかった気がする。

2010年6月12日 (土)

トルコとか

同じ研究室に、ギリシャ・タイ・トルコ・韓国・中国のそれぞれにゆかりの学生が居る。国際的な出来事のどの火事も対岸ではなく、隣近所の出来事になる。日本にいた時と、国際ニュースを聞くときの感覚が圧倒的に違う。イラン制裁の話も、朝、顔を合わせたときに普通に話題になった。

Global-News: オバマは、なぜトルコを最初の訪問国に選んだか(その2)の去年4月の記事

アメリカ政府、イランの核開発を最大の脅威と受け止めているイスラエル政府の両者が、「何を最後の一線と考えているか」「何を踏み越えたらイランを攻撃するか」について、正確な情報を伝達する役割をトルコに担わせるのは妥当である。トルコとイランとのあいだには、外交上の問題がほとんどない。

Global-News: 緊張するトルコ・イスラエル関係 今年2月

今回の対立に至る前、すでに、昨年からトルコとイスラエルの関係は緊張を高めていた。2008年12月~09年1月にかけて、イスラエルがガザ地区に行った攻撃で1400人近い死者を出した。その直後、09年1月29日にスイスのダヴォスで行われた世界経済フォーラム(通称ダヴォス会議)でガザ問題のパネルがあった。その席上、トルコのエルドアン首相は、イスラエルのペレス大統領に向かって、「人殺しの仕方をよく御存知のはずだ。子どもを殺したことを我々はよく知っている」と異例の強い調子で公然と非難した。 

このとき、イスラエルはトルコに対して強硬な姿勢を取らなかった。

ダヴォス会議の件では、 アメリカもトルコに対して強行な姿勢をとらなかった。トルコではイスラーム主義を核とする公正・発展党はトルコの経済を改善して、なおかつ世俗主義派を抑えることにも成功している。支持率はトルコ国内の地域ごとに随分違う。EU加盟を蹴られてからはイスラーム化の傾向が益々進んだ。…とのこと。

極東ブログ: 西側諸国はイスラエルによるイラン空爆を容認するではないか 今日

事後になって「西側諸国はイスラエルによるイラン空爆を容認するではないか」。 もう少し言うと、西側諸国というより、非シーア派国もこれに含まれるのではないか。もちろん、表向きにはというか公式には、西側諸国も非シーア派国も反対するだろうし、事後には非難の声も上げるだろう。 オバマ大統領も事後に含まれるだろう。

オバマ大統領が最初の訪問地にトルコを訪れてから少ししか時間は経過してないのに、随分急速に事態が推移している。堰を切ったようにというか箍が外れたようにというか。

2010年6月 7日 (月)

不信任案否決のあと事実上更迭

赤松氏不信任決議案は否決されて、でも農林水産相に再任はされず「事実上」更迭とのこと。事実上といっても公的には何もお咎めなし。不信任を否決して信任して、単に再任しなかっただけ。

釈然としない。

2010年6月 5日 (土)

無政府状態

いま日本は「無政府状態」とのこと。無政府にしようと思ってもできないようなシステムがあって当然なのに、なぜこんなことが起こるのだろう。

2010年6月 2日 (水)

鳩山首相辞任

鳩山首相が辞任した。短命だった。

「共感力の強い依存性性格」という分析はあたっているのだろうと思う。そういう性格を色濃く持っているわたしには、鳩山氏の首相としての無能さが痛いほど分かる。小沢氏とともに退陣するというアイデアも誰かから「そうなると良いな」と言われてのことであろうか。

辞任の会見では、日米同盟のことでも朝鮮半島のことでも台湾のことでも口蹄疫のことでも財政のことでも農政のことでもなく、「クリーンな党」か否かを問題にしているもようであった。内政・外交・財政など政治の諸問題とクリーンか否かの問題とを比較すれば、圧倒的に前者のほうが重要だし、そもそも政治家の仕事は前者であろうが。クリーンになるために前者をないがしろにするのは単なる阿呆である。

民主党が野党であったころ、国を担うために必要な仕事や知見の質量を全く知ることなく過ごしていたことが今回明らかになった。まさかここまでヘボかったとは。

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