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2010年11月20日 (土)

暴力は財なのかしらん

筋の良い議論は読んで面白い。 自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる

国家というものが領域内のすべての「暴力(Gewalt)」を回収し正当に行使しする「暴力装置」でなかった近代以前では、社会のなかに統合されていない各種の暴力(Gewalt)が溢れていた。

暴力は回収され、統治されたものであったか。領有権=財産権、施政権=信託の枠組みでいうところの財とか富とか、政府に信託しているものの中に暴力も含まれているのかしらん。王が財を守るために暴力を装置として用いていたのなら、その暴力を解体して財を回収し、国民からの信託に応えるために政府が新たに暴力を用意したということではないのかしらん。ジャイアンが学校に回収されるのではなく、ジャイアンの腕力を削いで睨みをきかせる(ために)新ジャイアンが学校により新たに用意されたのではないのかしらん。そして、新ジャイアンはジャイアンと違って、クラスメート=主権者が制御(control)できると校則に記されている。そんなことではないのかしらん。それとも暴力はやっぱり財で、信託により運用されていて、例えば災害時の軍の活動は暴力が資本として活かされてる典型とみて良いのだろうか。わからない。

「バットマン」は国が回収しそこねた暴力で、シビリアン・コントロールされていないという意味で「ジョーカー」と同じ。国はバットマンを回収するか、バットマンの威力を削ぐか、どちらかをしなければならない。

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