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2010年12月27日 (月)

才能=魔法と社会

魔女の宅急便を久しぶりに観た。主人公のキキは最初の仕事で、風で飛ばされ森に落下し、そのせいでカラスたちに攻撃される。「大昔の魔法使いはカラスを手懐けていたのに、カラスに攻められるなんてね」と相棒のジジにからかわれる。その直後、カラスを手懐け、カラスの顔をスケッチする絵かきの娘と出会う。森の中の絵かきの娘は、「魔法使い」であることが分かる。魔法=才能であり、映画は魔法が使えなくなったキキの苦闘の物語である。

 

キキが魔法を使えなくなったのは、その魔法を「私物化」していたからではない。そのきっかけのひとつは、自分の魔法に自覚的になったことから生じる恐怖であろう。魔法が使えなくなる直前、魔法のない状態でトンボと自転車に乗って車と衝突しそうになり怖い思いをする。生まれながらにして血により魔法が使える者にとって、魔法が使え「ない」状態を想像することは難しい。そして、魔法の「ない」状態と「ある」状態の差を実感する機会はなかなかない。トンボとの出来事は自分の魔法への自覚を促す。そして、より怖いのは、魔法を失うことにより社会での立ち位置を失うことである。キキの場合は、飛べることをきっかけに宿を提供してくれているオソノさんの信用を失ったり、飛べることで自分に興味を持ってくれたトンボを失うことである。魔法が使えることによる過剰な自意識や選民意識が怖いのではない。

 

キキは映画の中で多くの人に助けられる。オソノさんに宿を提供され、トンボは友となってくれて、森の絵かきは相談に乗ってくれて、おばあさんは仕事をくれた。キキが最初に街にやってきて寝る場所もないときや自分の魔法の力が薄れたとき、キキを支えたのは彼ら・彼女らであった。彼ら・彼女らとの接点多くはキキの魔法=才能が作ったものだが、キキを彼ら・彼女らが助けたのはキキが魔法使いだからではなかった。キキには自分の魔法による社会貢献の意識などなく、それでも人はキキを愛し、キキはその愛に自分の魔法=才能を活かして常に報いようとしていた。

 

キキの魔法の復活は、トンボを救いたいから飛びたいと強く願うことで実現した。飛べるようになる直前、デッキブラシを借りて道路の真ん中で色々な人の目の前で、飛ぶために意識を集中する。ハタからみるとその様は不恰好であり、しかしその不恰好で必死なときを経て、キキの魔法は復活する。自分の天賦の才を純粋贈与として差し出すことで戒めが解かれた、そういった話ではない。

 

キキは飛べる魔法を使って宅急便の仕事をし、利益を得る。

 

魔法使いがその魔法で自己利益を得ているときに、その様子を観て周囲に居るものが「私利私欲に走る魔法使い」を殺す社会は住みにくい。魔法使いが殺されたとき、社会は魔法を失う。それは損失である。

 

魔法の持ち主を妬む人々が大勢居る社会は住みにくい。妬まれたのをきっかけに自分の魔法を私利獲得には使いませんと宣言してしまう肝の小さな小粒の魔法使いも多い。

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